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                                  A級戦犯が語った戦争  日経新聞2010年8月18日報道より

  日米開戦「勝算なく戦運に期待」
  終戦「45年1月から天皇と話す」

 極東国際軍事裁判(東京裁判)が終了してから10年後の1958年以降、法務省が釈放されたA級戦犯被告から日中戦争、太平洋戦争などについて聞き取った聴取書綴(つづり)が国立公文書館(東京・千代田)に所蔵されていることが分かった。釈放後、一部を除いて意見を公にしたA級戦犯被告は少なく、昭和史研究の貴重な資料といえそうだ。

 釈放後の聴取書綴発見

 聞き取り調査は法務省の事業として戦犯裁判資料の収集作業を続けてきた豊田隈雄元海軍大佐、井上忠男元陸軍中佐らが行った。木戸幸一元内大臣、畑俊六元陸軍大臣ら生存していたA級戦犯12人全員から話を聞いたという。
 木戸元内大臣は終戦の年の45年1月から昭和天皇と戦争終結について話し合っていたことを証言。嶋田繁太郎元海軍大臣は明確な勝算なく開戦し、「戦運」に期待していたことを明かしている。
 岡敬純元海軍省軍務局長は、日本の大東亜共栄圈構想のおかけでアジアの植民地が独立できたという見方について「自己満足に過ぎない」と否定的意見を述べている。星野直樹元内閣書記官長は「早く戦争を止めるべきだった」と悔やんでいるが、当時戦争終結を言い出すことは「犯罪」とされたので誰も言い出せなかったと述べている。
 東条英機元首相ら死刑となった7人と獄中で病死した元被告以外のA級戦犯被告は54年から順次仮釈放され、56年3月の佐藤賢了元陸軍省軍務局長を最後に全員が釈放された。

1958年以降、生存者全員が証言(聴取書抜粋)
 ▼木戸幸一 元内大臣)
 〈開戦〉
 あそこで戦争政策を抑えるとなると内乱になり、陛下のご退位の問題にも発展しかねない見通しもあったので、それを犯してまで平和政策を敢行し得る見通しはなかなかつきにくかった。
 〈終戦〉
 昭和20年の1月、米軍の(フィリピン)リンガエン湾上陸のころから戦況はいよいよ緊迫の度を加え、私と陛下との間においても戦争の収拾についてのお話しが出るようになった。
 帝都の防衛を任とする九十九里浜配備の師団にさえ武器もない状況であったが、陛下もこれらの状況はよくご存じになっておられ、いよいよ終戦へのご決意を固くされていたものと拝察する。

 ▼畑俊六(元陸相)
  〈日中戦争〉
 (満州国の)皇帝まで擁立しておって、蒋(介石)のメンツや中国人の感情を無視してしまい抜き差しならぬ形となる。私の考えでは目支和平の鍵は(中国からの)撤兵問題等ではなく実にこの「満州国承認」の条件にあった。
  〈残虐行為〉
 今次の大東亜戦争中各地において相当の不法行為や行き過ぎのあったことは認めざるを得ない。

 ▼嶋田繁太郎(元海相)
 〈太平洋戦争〉
 開戦に踏み切った時の戦争の見通しについては、はっきりした勝算はなかった。
 この際たてば「戦運」ということもあり、多年猛訓練を経た艦隊の術力にも期待が持てる。緒戦には自信があり、ここで戦果を挙げればこれを持続し、そのうち終戦にもって行くこともできると考えた。

 ▼荒木貞夫(元陸相)
 〈敗戦∇
 第1次大戦中及びそれ以後の日本の政治のあり方の総体に健全性を欠いていたため国の自然の大きな流れが戦争への道をたどった結果によるものであると思う。

 ▼大島浩(元駐独大使)
 〈三国同盟〉
 ひと言にして言えば独の戦力を見そこなったのである。独の力があのようであったとすればもちろん日本は三国同盟を結ぶべきでなかったことは明らかだと思う。

 ▼佐藤賢了(元陸軍省軍務局長)
  〈陸軍幕僚の下克上の風潮〉
 軍の首脳がその資格に欠けていた。白露戦争当時の将軍は司令官たるの人格と識見を備えていたが、当時は軍事も簡単で武将としての人格で指揮できたが、近代戦では作戦そのものが次第に複雑になり、下僚に任せきりになりやすい。したがって幕僚の比重が漸次重くなってきた。

 ▼岡敬純(元海軍省軍務局長)
  〈大東亜共栄圏〉
 戦後、日本の犠牲において大東亜共栄圏は独立し大東亜戦の目的の一端が達せられたかのごとき説をなす人かおるが、これは全く自己満足に過ぎないと思う。独立した諸国で衷心から日本に感謝している国かおるかどうか疑問である。

 ▼星野直樹(元内閣書記官長)
  〈戦争終結〉
 今から考えれば早く戦争を止めるべきであったが、当時は敗戦や戦争終結を口にすることは犯罪とされていたので、誰もなかなか言い出せなかった。


 現代史家・秦郁彦氏の話
 敗戦から十数年後なので、戦争の実態や諸論評に接して影響されたり、あと知恵も加わってか、概して常識的な感想に落ち着いているが、共通して責任意識が薄い点は気になった。ドイツの戦力を見誤ったと告白した大島元駐独大使と、結果的にアジアの植民地が独立したと考えるのは自己満足にすぎぬと指摘した岡元海軍省軍務局長の発言が興味深かった。


                                                                      以上 日経報道

サイト管理人
 日経新聞は日本の開戦と敗戦を考察できる重要な歴史的資料について提供してくれた。
 誤った歴史観、独りよがりの歴史観などが氾濫している中で、戦争について事実に基づく整理が進むことを期待したい。日米開戦については、当時の山本五十六も負けると考えていたようだが、結果も彼の言った通りになっている。想像するに日本陸軍は弱小国相手の中国大陸での戦果に基づき、国際的情勢の把握ができなくなっていたのだろう。そしてマニアックな精神主義に陥り日本国民を破滅へと導いたものと思われる。
 戦争の問題を考えるときいつも避けている問題がある。それは戦争責任の問題である。天皇陛下が支配しているのに戦争責任が明確ではない。天皇に責任があるのかないのか、明確にされねばならない。毎年行われる戦没者の追悼式でも「戦没者があって現在の日本がある」と、戦争が人ごとのように語られる。だから犠牲者の家族の胸中に響くものが感じられない。