人事異動の季節(民間では配転ともいう)

 経営の管理運営事項である人事異動の季節である。今回も真面目に経営を存続させようと考えているのか疑いたくなる内容であった。

 県の人事異動は職員を約3年で転勤させる。業者との癒着を防ぐ為というのが風評である。しかし平職員には指名業者を選定することはできない。元々幹部の仕事である。これで想像できるであろう。

 そもそも約3年で転勤させては専門職が育たない。極端な場合は1年ということもある。多くの職場を経験すれば薄く広く学ぶことができるかもしれない。しかし新しい職場に転勤すれば最初の1年は仕事を覚えるだけで終わってしまう。

 新しい仕事を覚えるときは古い記憶を捨てねばならない。こうして多くの職場を経験したはずが、実はほとんど身に付いていないことになる。人間とはこうしたものである。従って異動の多い幹部は専門的知識に欠けることになる。このような連中ばかりが県政を動かしているのである。県民の為の県政として良くなるはずはない。期待ができない。

 平職員が専門的知識があると、幹部は部下からの上申を受け入れざるを得なくなり、また論破され、幹部の労務管理ができなくなる。このような事態は幹部として困るのである。幹部が平職員に仕事を教えてもらうことをいつまでも続けることはできない。だから全員馬鹿ばかりの職場づくりに専念する。(「知っているけど知らない」職員を多く生み出す。)

 従って専門的な知識を身につけているのは異動の少ない平職員である。彼らが実質的に担っているのである。

 これまでもあったが、職場のほとんどの幹部と職員を異動させたため、仕事の継承がうまくいかなくなり支障が起きることである。個人の代わりは誰でもできる。しかし組織の代わりは簡単ではない。今回も繰り返している。

 人事異動が仕事中心ではなく幹部クラスの処遇の改善のために行われるからである。
 他方で地道に仕事を処理して成績をあげているものはたくさんいる。しかし、そういうものには処遇を改善しない。違う考えを嫌う傾向があるからである。逆に言うと相手を説得する自信がないからイエスマンばかりを身近に置くことになる。職員はそのことを知っているから、波風を立てないように黙々と働く人間が増える。

 働くものを大事にするとか育てるというのは難しいことである。幹部自らがそういう度量がないと不可能である。県民のために仕事中心になるのではなく、個人の処遇を考えた働き方になってしまう原因は、すべて幹部の責任である。

 私は別稿でも書いているが、幹部自ら次の処遇を考えているようでは、まともな経営はできないのである。
 また報復人事というものも現実にあるようである。過去に何度か目にしてきた。ライン職からスタッフへの異動とか、所長から次長への格下げなどである。その理由は勧奨退職に応じなかったからであるという。勧奨退職を受けるか受けないかは個人の自由である。まさに「いじめ」が今も堂々と行われている。
 これが現実である。報復人事はその他にも、遠距離への配転など数多くみられる。

 当局は毎年異動に関する意向調査も行っている。同じ内容で組合も行っている。しかし協議の対象になったり、調査した意向が大切にされるということはない。所属長自ら「誰がみても理解できる内容」じゃないと困難だと最初から言っているのである。
私の職場は毎年ほぼ均等に回転させないと業務に支障がでるのである。しかし、今回は私の職場では最低の人数しか変えなかった。そのため将来ある若い職員は腐りきっている。
 この反動が来年以降に表面化するのである。

 人脈による下克上のような異動も多い。今までは組合がしっかりチェックしていたので良かったが、暴走しはじめた当局は、職場間のバランスを崩し、職場が荒廃しはじめている。

 当局は経営の失敗をごまかすのは上手である。必要のない水利権を取得したため、無理にアリバイ作りを行おうとしている。それが利賀川水道事業である。もちろん議会には実際に送水していないのに10倍も多く送水し、正常に運営されているかのごとく報告がされる。和田川水道事業の水利権が大量に余っているので、利賀川は必要なかったのである。

 職員は一目瞭然「ごまかし」と判断できるが、県議会議員は気づかないらしい。県政とはこのような県民不在の連続である。上手にごまかすものが出世していく世の中である。悪いことをしないと儲からない社会であるのも現実だ。
みなさんの職場ではどうですか。

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