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危機管理   一片の通達だけで責任逃れ、これで済むのか???

 最近、危機管理体制の強化が声だかに叫ばれています。しかし我が社の電話が1時間以上にわたり通信不能。危機管理にとってのイロハである基本的な連絡網が壊れたりするのでは、「やる気があるの」と言いたくなる。こんな小さなことさえできないのではテロ対策など論外です。

 危機管理と称し新しい総理大臣官邸を作った。中身が問題である。どれだけ建物が立派でもイラク人質事件のように何も情報収集できないのであれば意味が無い。新官邸に入ってもすることがないのです。
 上記のような基本的なことができないまま立派な官邸になったら危機管理が出来ると言っても信じるものがいるのでしょうか。そもそも地震が発生しても連絡がとれないものがいたり、パチンコに興じていたりする幹部が多くいます。新しい官邸以前のモラルの問題もあることを忘れてはなりません。

 国民にとって重要なのはライフラインです。これは全くの無防備です。例えば電気・ガス・水道・交通・鉄道などを破壊するのはテロリストにすれば簡単なことです。誰でもできます。だから時々愉快犯が出没しているのです。
 現在の危機管理は国からの「恐れがあるので警戒しなさい」という紙切れ一枚です。通達を受けた方は連絡体制がどうなっているか点検します。しかしこれ以上は何もやっていないといっても過言ではありません。紙切れ一枚が一気に下部まで落ちますが、それ以上何もありません。
 行政機構は末端まで責任逃れで動いています。役人の腐った根性ですね。改革は議員の仕事のようです。
 国民のみなさん、そういう程度のことしか国・県はやっていないということを知っておいて下さい。

 テロに対して対策はできないのです。やろうと思っても物理的には無理です。誰でも素人でもやろうと思えばどんなことでもできますからね。どこかで送電線の鉄塔が倒れたことがありました。テロ対策はできたのでしょうか。重要箇所の24時間の監視体制はあまりにも多すぎてとれないです。戦闘部隊としての米軍ですら自らを守れず、自衛隊に守らせています。
 全く無力な我々は誰に守ってもらうのでしょうか。他方で強大な国家は開き直り、国民は国家を守る義務があるということを言っている。変ですね。
 国民が協力し、テロの必要がない社会をつくる以外に解決の道はありません。外国とも仲良くしていくことが大事です。いつも喧嘩腰の自民党と付き合っておれば、共倒れです。役人はほんとにぼんくらですね。(富山県の方言)

 最近大企業の火災など不祥事が相次いでいます。特に十勝沖地震で震度5で苫小牧の出光の石油タンクが大火災を起こしました。たったの震度5です。その前の新日鉄の爆発事故ややブリジストンのタイヤ火災そしていつまでも続くJRの事故などなど危機管理がないといってもいいくらいです。10月11日、八丈島での全日空航空機と自衛隊のP-3C偵察機のニアミスなどもあります。三菱自動車の事故隠しもあります。これなどは国家的テロと言ってもいいものです。

 消防庁やマスコミが調査したところ全国のほとんどの石油タンクで問題ありということです。なんと危険な日本になったのでしょうか。
 マニュアルがあればそれで済むと言う問題ではないのです。組織や体制の問題です。立派なマニュアルもそれを生かす労働者がいなければ役には立ちません。しかし政府や官僚はマニュアルがあったかなかったかをいつも問題にします。それが民間にも波及してしまい肝心要のところが抜けてしまっているのです。どんな立派なマニュアルも役には立ちません。労働者の実践と経験に頼るしかないのです。労働者を大事にすべきです。リストラが続けばテロや危機管理などよりも自分の生活を守ることに集中します。

 私の会社でも国土交通省を騙すため、緘口令が引かれたこともあります。
 保身の為に騙すことは平気でやっています。このようなイエスマンがいる限りはテロ対策は不可能です。その為に同様の事故が全国で発生しても知らない振りになります。こんな役人を作ってきた政府の責任は大きい。
 現在の政府のテロ対策は政府要人を守るためのものであり、国民生活を守るものではないと言うことを証言しておきます

 マニュアル、マニュアル、マニュアル、イエスマン、イエスマン、イエスマン・・・・・・・・

危機管理のヒント・・・第一線に立っている現場実務者が知恵を集めて作るもの。素人の事務職幹部が数人でつくることはできない。作っても役に立たないものになる。しかしその実務者がリストラでいなくなってしまってはどうしようもない。まずは不必要なマニュアルばかり、これを整理しよう。時間をかけて読まねばならないものは実践に役立つマニュアルではない。基本的には理解しつつも「おさらいのポイント」が記入されているものが良い。事務職中心に作成することが多いので誤りや勘違いもまた多いようである。また議論に先立ち、なんらかの結論を持って論じるのは言語道断である。時間の無駄である。誰かが教えてやろうなどと考えるのは愚の骨頂。

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