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東大の経営学教授による成果主義批判

テキスト:高橋伸夫著『虚妄の成果主義』(日経BP社 2004・1 \1,600+税) 
開催日:04・7  レポーター

【解説的報告】
 「日本型年功制復活のススメ」という副題をもつ本書は、意外にも?東京大学教授の肩書きを持つ人物が著わした、成果主義に真っ向から反論する著作として世間の注目をあびている。本書の売れ行きも好調のようで版を重ね、また新社会党の東京の自治体労働者の間でも本書を使った学習会がもたれている。   
 本書は全4章からなるが、「第1章は、もともと講演資料が元になっている」(P5)。事実、第1章にあたる部分の要約は、ときおり新聞や雑誌でも確認することができる。一例として6月9日付け日経新聞「経済教室」欄の記事を紹介しておきたい〔※資料添付〕。
 すべての領域においてやられっぱなしの労働領域において、一介の学者とはいえ、成果主義賃金体系に異議を唱えることについてはとりあえず拍手を送っていいであろう。当局との交渉でこの本を活用したという例も出された。案外こうした使われ方が民間でもされているかも知れない。平易な論述であるから、気張らずに読める。ぜひ一読をお勧めしたい。
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 さて「本書が批判している成果主義とは、@できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、A成果のようなものに連動した賃金体系で動機づけを図ろうとするすべての考え方、なのである。しかも@とAはandではない。orである。…どちらか一つでも満たせば、本書が批判している成果主義なのである。…要するに成果主義はみなダメなのである」(P231)。著者は自信満々である。以下、簡単な要約を行ないたい。
                        
 第1章「日本型年功制のどこが悪いというのか」は先述のとおり、本書の中心部分である。日本型年功制の確立には日本的な歴史的必然があったという。 
 いわく第2次大戦前には年功制はホワイト・カラーのみに適用されていた。しかし戦中に戦争経済の破綻が進む中でその弊害が徐々に認識されつつあったところに、戦後においては身分制度撤廃の民主化運動、春闘、さらには60年代の労働力不足の事態を背景にしてブルー・カラーにもほぼ同じ賃金制度が適用されるようになった。このような「生活費保障給型賃金が…高度成長を支えてきたのだ」(P22)。「この本の理論的な主張は過激なまでに明快である。

 金銭的報酬による動機づけは単なる迷信にすぎない。…次の仕事の内容で報いる日本型の人事システムは、それに合致したものであった。…従業員が生活の不安を感じることなく、仕事に打ち込めるような環境を作り出すために設計されるべきであり、日本型年功制はそのために生まれたものだった」(P46)、「住宅ローンや自動車ローンも安心して組めないような賃金体系の会社にいて将来の見通しが立つわけもないのである」(P51)。

 さらに著者いわく、ことさら成果主義などと言わなくても、年功制でも差はついてきた。それは、まず仕事の内容に差がつき、給料は昇進の後についてくる。これは年功序列ではなく、「日本型年功制」と呼ぶべきものなのであり、それにも改善の余地がある。ただしそれは制度的なものではなく、あくまで運用上の改善である、一番改善を望むことは三つある、として列記する(P52〜3)がここでは省略する。

第2章「日本的経営の評価をめぐる右往左往」では、賃金制度をめぐる日本の学者の対欧米追随主義が冷笑される。経営学学界においてもいかに対外追随主義の病が覆っているかを浮き彫りにして痛快な一章である。また、たとえ一人でも正しいと思うことは貫いて主張すべきだという基本姿勢にも拍手を送りたい。

第3章「人が働く理由を知っていますか?」では、テーラー主義に始まり、ホーソンでの経験をふまえた人間関係論、期待理論が俎上にあげられ、その誤り・限界が暴露されてきた歴史が振り返られる。そしてE.デシらの「内発的動機づけの理論」こそが正しい理論であり、外的報酬は負のインパクトを与えるもので、有害であることが「証明」される。こうして成果主義の害が理論的にも証明され、日本型年功制の優位さが「明らかに」される。

第4章「未来の持つ力を引き出す」では、「見通し」を明らかにする経営者の責任が強調され、ゲーム理論によっても、「紳士的に長期に付き合える」環境の必要性が唱えられる。そして、筆者が願っているのは、良き経営者・管理者の誕生であり、この範囲に視野が限られていることが分かる。

【若干の注釈】
 みられるとおり、著者は日本型年功制を高く評価するのだが、次のような有力な反論もありうる。例えば、かつて大内力東大教授が喝破したように、労働力の再生産費を年齢ごとに最低保障しようとすれば、それは年功型になるほかはない。なぜなら男性労働者のみが働き、妻や子供、家族を養っていく、というのが普通である社会では、家族の労働力再生産(結婚、子弟の養育・教育費の負担、父母の高齢化・無給化など=年金制度さえ無かった時代!)のためには、年齢と共に賃金上昇していくシステムが不可欠であった。
 このような社会で仮に成果主義を導入したいと経営者が考えたとしよう。そしてその企業で、最低ランクに位置づけられた労働者でも家族を養っていける賃金水準だったとしよう。そうすればその会社は、年功制を維持するよりもはるかに大きな賃金原資を用意しなければならないに違いない。
 日本型年功制は、著者のいうような「仕事で報いる制度」としてスタートしたわけでも何でもない。大部分の労働者にとっては、最低の生活保障を保障される賃金制度であり、せいぜい春闘において年齢別モデル生計家庭を想定して賃金闘争を行ないやすい制度でしかなかった、ともいえよう。
 そしてその程度の制度でさえ、今日、必死の労働運動無しにはその維持は困難になっている。
 もうひとつ言うなら、氏は能力差による賃金差別を決して否定していないし、能力差によってどの程度賃金格差があるべきかについても言及していない。
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 ところで本来最も安上がりの賃金体系であったはずなのに、なぜ政府財界は今日、日本型年功制を破壊し、成果主義を導入することに性急なのか? いうまでもなく、世界資本主義が変質し、グローバリズムの時代へと変容したことが基礎にある。そして日本の企業がバブルの後遺症に苦しんでいるその間に、アメリカは金融資本とIT部門で「持ち直し」、ヨーロッパは一体感を強め、中国はその低賃金と勤勉を武器に「急成長」を遂げている…。

 小泉構造改革が唱導されたこの3年のあいだ、閉塞感を強め衰退のきわみにある労働界にも力を付与され、日本国内ではリストラと賃金切り下げ、既成労働法制と制度の解体が急ピッチに進められた。成果主義賃金体系への転換は経営者の哲学によるものというよりは、もっとも安易な賃金総額抑制・雇用制度破壊の「理論的」根拠として活用されてきた。
 であるがゆえに、成果主義の導入は経営者本人も自覚していなかった弊害(それは何よりも「企業戦士」を育てない)を生みつつあるが、そこに高橋氏らの論調が、一定程度世間に受け入れられる素地が生じた。しかし高橋氏はこうした時代的背景に想いを馳せること、まったくない。

 それはともかく、もう一つわれわれが自覚的に明らかにしておくべき課題があろう。というのは、日本型年功制の維持を可能にしてきた必要十分条件が壊わされてきたのではないかという問題である。伊藤誠氏が早くから指摘しているように、マルクスがとうの昔に想定していた事実、つまり家庭から複数の働き手が生じていくという社会の変容の下で、労働力の価値分割が先進世界に共通しているという事態である(伊藤誠『日本経済を考え直す』第3章 1998 岩波書店での指摘)。

 そして、非正規職員の増加、のみならず非正規職員のありかた自体が多様化し職場が「るつぼ」化している事実(日経新聞7/22朝刊一面を参照)。こうした事態が常態化していく際の、階級的労働運動の目標をどう定立していくか。そうした問題意識や現状分析は高橋氏にはない。むろん、それはもともと無いものねだりであろうが。
 つまり、この書の意義は、われわれがこれをどう活用するかにかかっている。間違っても著者の思想を拝借しよう、とはならないのである。それでも今日、稀有な問題提起の書として一読をお勧めしたいことに変わりはない。

【討論】
・「成果主義賃金がとっくに入っているアメリカなどでの具体的弊害を、事例的に示して欲しかった」「そもそも日本で成果主義賃金体系が入っている、その実態を紹介して欲しい。そこでは企業のタテマエとホンネがどう使い分けられているのか」「著者の視点は少し狭いと思う。理論の優劣より、歴史的背景などの考察がもっと必要ではないか」
・「筆者の対象としている労働者は、とりわけエリート社員であって、非正規労働者は考察の対象にも入っていない」「それは。その通りだ」
・「成果と賃金をリンクすれば問題が起きる。成果は仕事で報い、賃金は生活保障を中心に設計すべきだ―というのが筆者の眼目だと思う。これは評価しうるが、しかし、能力主義そのものは容認しているのではないか。この成果主義批判は、不徹底というのが感想だ。彼のいう日本型年功主義には、能力主義は含まれるのではないか」「つまり成果主義の規定が重要で、彼の批判しているのは能力主義を超えた不合理な成果主義だと思う」
・「『共産党宣言』には"死臭"を感じたというだけの批判で、マルクスの誤りはソ連・東欧の崩壊で実証済みと切り捨てている。ひとつの思想体系に対する批判としては、余りにお粗末だ」
・「家父長制的な職場システムは、欧米を基準に前近代的と切り捨てるのが一般的だったが、日本的なものとしての再評価が欧米からも行なわれ日本の経営学会も揺れているという指摘は、注目すべきでは。飛躍するかもしれないが、自民党の改憲論点で出ている〈家族の再評価〉〈わが国固有の価値(国柄)〉論についても復古的であることは勿論だが、それだけではないものも考えておかなければならないのではないかという問題意識をもったのだが…」
・「経営学会だけではなく、連合の若手幹部の理論もアメリカ経営学そのものだ。〈若年労働者の技術対応能力への処遇を!〉という主張で、経営サイドと変わらない。この本で言われているような経営論は圧倒的少数派で、これはこれで貴重だ。中高年をどう守るかは大きなテーマであり、原理的なところから賃金論が必要だ」
・「公務員の仕事は移動によって決まり、これは仕事で報われるシステムではない。与えられた仕事のなかでやりがいを見つけ出しているのが現状だろう」
・「成果主義は、企業の多国籍化と密接に関連している。海外進出の企業は、日本的システムだけではやってゆけない。それが、日本へ跳ね返ってくるという関係も視野に入れておくべきだ」
・「トヨタやシャープは日本型経営を堅持して好成績を挙げているということで注目されているが、個別の検討も必要だ」



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