業績主義・能力主義の新勤務評定制度
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 富山県は平成18年度からすべての部局で能力主義の新勤務評価制度の導入をきめた。一部の部局では16年度から施行する。県職員の給料は問題はあるものの@1職務と責任に応じた格付け(職務職階制)A国と他都道府県との均衡B民間企業の給与水準の反映を原則に人事院の俸給表に基づき決定される。現行制度では職員の業績が評価に現れるのはポスト面の処遇だけで年齢や職種が同じならば金額が一律になる。
 能力と業績を柱とする勤務評価制度はなじまない。業績の違いがないからである。
しかし地方分権の流れとともに国の補助金や交付金がカットされ、加えて従来からの県政での累積県債が多額になり一部の自治体で能力主義制度が確立されてきているという。
 国も18年度の公務員制度改革で導入をめざしている。
富山県人事課は職員労働組合と相談し、国の事例を参考に、業績評価の仕方や能力給の給料全体に占める割合などを決めて実施するという。

以下に問題点などを整理してみました。
問題点はいろいろありますが、今までの評価制度が良かったのかどうか総括がなければ改革はできません。当局が県民の目線を恐れて実施している「アリバイ」づくりではいけないのです。県政は多面にわたり「アリバイ」づくりが横行しています。一般論としての能力主義は当然です。しかし能力に違いがないのに無理矢理評価しランク付けされるのはたまったものではありませんね。最下位にランクされた職員は開き直り「会社の脱法行為などを内部告発」するかもしれません。談合をや癒着を告発しなければなりません。いずれにせよ、献身的に働く意欲はなくなるでしょう。

第一に「職員の業績が評価されるのはポスト面での処遇だけだ」としているが実態はそうではない。抜擢人事はほとんどなく、順番であり、平職員は評価されないしくみである。反対に特に幹部クラスはポストをたらいまわしにしている。幹部職員も業績評価はされていない。なぜなら企業局電気課長は仮に多くの業績をあげても局長になれない。局長は仕事のよくわからない県から配置されているのがその証左である。
異動発表の前から、次は○○が部・課長になると公然と言われている始末である。能力の問題ではなく順番で考えている。だから有能な管理職は望むべくもない。管理職自身がイエスマンであり、知事の飼い犬であり、建設的な意見を上申できない。また実務を嫌がる傾向もあり、管理職としての自覚に欠けているものが多い。ここを改善しなければイエスマンばかりが増え、県民のためにはならない。
(例=幹部は赤字になることがわかっていても失敗だとわかっていても、左遷を心配しているから上申しない。)

第二に補助金や地方交付税が削られるのは、政府の責任であり、それを許してきた県知事の責任である。そういう失敗を職員に転嫁するのは本末転倒である。無責任さこそ糾弾されねばならない。また「地方分権の流れとともに」は小泉内閣が進めてきた三位一体の改革の結果であり、自然に流れができてきたわけではない。無責任な小泉内閣を放置してきた県の責任も重大である。
従って能力主義賃金の目的は富山県職員の賃金切り下げにある。仮に業績があったとしても、今までどおりで、業績がないと判断されれば賃下げになる。
公務員の場合、小さな業績があったとしても、それは仕事であり、私に言わせれば「やって当然」のことであり、評価の対象ではない。それが全体の奉仕者としての公務員というものだろう。「やって当たり前」の仕事をやったからと評価するのはお手盛りである。

第三に一人ひとりの「業績」をはかるモノサシがあるのかと言いたい。責任をもって県民の前に明らかにできるような「ものさし」はみつからないだろう。そうすると今までの勤務評価制度のように職員に明らかにできない「ものさし」でこっそりと評価しなければならなくなる。評価された職員はいいが、「ものさし」が公開されていないので、評価されない職員は努力のしようがないことになる。結局情実人事に拍車をかけ、勇気ある職員もイエスマンに徹するしかなく、県政は一層沈滞する。

第四に現在の職務職階制度は人事課のためにあると言っても過言ではない。なぜなら人事課経験者(事務職)しか幹部になれないからである。技術の幹部はめずらしいが、アリバイづくりであろうか。

第五に県知事は、利用者の少ない箱物づくりですすめ、赤字を増やしたことも問題である。県知事に対し、首を覚悟で諌めることができる幹部がいないことが大問題で、県知事の箱物づくりをさせられ、県政の効率的な運営ができなくなってしまっている。

第六に労働組合は組合員から高い組合費を払ってもらっているのだから、これらの諸問題をしっかりと押さえながら、職員とその家族の生活を守るために努力しなければならない。

第七に富山県は「不利益不遡及」の原則を破っているのであり、民間と違い今後もいつでも破る。だから公務員は一生自分の賃金が確定していない。生活設計などもできない実態にある。これは民間企業で行えば労働基準法違反である。一度払った賃金を返してもらうということは民間でもできない。しかし公務員職場でどうどうとまかりとおっているのである。正に無法地帯である。
加えて毎年賃金や退職金などが削減されており、家族も含め大きな影響が出ていることを知るべきである。

第八に労働者の代表と言われている社民党県議団が「不利益不遡及」の問題で、当局提案の条例に賛成してしまったことである。今後も「不利益不遡及」が発生するが、職員はこの問題に苦しみつづけることになる。組合がだめなら社民党に期待したいと思っていた職員は裏切られてしまった。今後このようなことがないよう望みたい。

第九に公務員でもエリートと言われる人たちの処遇について一言。民間企業の皆さんからみるととんでもない退職金や年間2000万円の賃金を貰っているようです。国民の税金です。これらの金額が何を根拠に決められているかは、一般公務員も知らされておらず闇の中です。ここを正さないで何を正すのでしょう。

第十に富山県は平成15年度から職員全員を研修させるという新たな研修制度を導入した。これもアリバイ作りで、仕事の遂行能力の向上になるものではない。むしろ研修のために働く時間が短くなっている。県民負担の上に研修を行っている。「研修コンサルタント」を儲けさせているだけのように見える。富山県職員は人事委員会の実施する厳しい採用試験に合格しており、退職まで研修し続けることが必要だとは思わない。人事委員会は無能なものを採用しているとも思えないがどうしたことであろう。富山県はこの研修の受講を昇進のハードルとしているから、多くの費用がつぎ込まれているに違いない。

第十一に賃金は生活費である。能力給を現行賃金に上積みするのならまだ理解できるが、現行賃金を削減して行うことには反対である。賃金に含まれるのは家族も含めた、衣・食・住にかかる費用、能力を高める費用、子供の教育にかかる費用、老後の生活費などがありますが、少子時代はこれらの費用が不十分だから生じたともいえるのではないでしょうか。現在でも切り詰めの生活を強いられている者には許せないことです。「健康で文化的な生活」を憲法で保障しているが文化的な生活になっているのでしょうか。

第十二に能力主義を導入すれば、有能な若い人を登用することになる。逆に年功序列やゴマすりで昇進した管理職は降格となる。本当にその決意があるのだろうか。

第十三に公営企業以外はすべて税金を使っている。もし富士通のように失敗したら誰が県民に対して責任を取るのだろうか。明確にしておく必要がある。多くの管理職は3年ごとに異動昇進するので仕事もわからないし、責任も取れないだろう。今までの行政の失敗のように県民負担とするのだろうか。

第十四に評価する主体としての管理職は年功序列でポストをたらい回ししている。長年この習慣になれたものが公開できるくらいの基準と制度を運用できるのだろうか。元々現在の管理職には評価能力はない。仕事もわからない。そのような管理職に高額な管理職手当はいかがなものか。税金の無駄遣いではないだろうか。

終わりに
短時間で思いつくままに書いたので、乱筆乱文になっています。今後も加筆修正をしていきます。ご意見をお待ちしています。

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