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羅針盤

 国民や庶民の立場に立って主張しているページである。

2007年10月23日

 衆議院の代表質問で伊吹自民党幹事長がローマの皇帝で哲人でもあったマルクス・アウレリウスの言葉を引用して演説を終えた。テレビの生中継だったので、正確に覚えていないが苦笑を誘われた▼塩野七生の『ローマ人の物語』文庫版がちょうどマルクスの五賢帝時代を扱っていて、伊吹氏もあやかったのだろうが、哲学少年マルクスの綽名が「真実好き」。沖縄の「真実」の叫びに向き合おうという前文科相のサインかと深読みしてしまったのだ▼塩野本はマキャベリのこんな言葉を紹介している。「民衆は抽象的な事柄で判断を誤っても、具体的なことでは正しい判断を下す」「民衆の関心は安全と食の保証である」▼自公政権はこの10数年間、民衆の「安全」も「食」も危うくし続けてきた。その結果が民衆の離反だ。「民衆が言葉を聞かなくなったら力で信じさせる」(『君主論』こともある。要注意だ。



2007年10月16日

国鉄の不当解雇を争う鉄道運輸機構訴訟の結審で、印象的な場面に出合った。▼最終陳述で加藤晋介弁護士が「なぜ原告はJR不採用になったのか。その理由はただ一つ」と切り出すと、法廷は何を言わんとするのか固唾を飲んだように緊張した▼静寂を破り加藤弁護士の声が響く。「それは仲間を裏切らなかったからだ」。裁判長は一舜眼をむき天井を見上げた。この断言の合意を理解したのか、意表を突かれためかはわからない▼長年の審理で当局側弁護人は「当局の言うとおりにしていれば採用されたのに」と低劣にも繰返した。これに対し原告たちは「自分が助かるために国労を抜けるわけにいかない」と素朴に繰返した▼「仲間を裏切らないという道徳は労働組合が成り立つ原点で、何人も侵してはならない。裁判官が加藤弁護士の断言の意味をよく考え、判決に生かしてくれることを願う。



2007年10月9日

大相撲序の口の力士だった17歳の少年が、時津風部屋の稽古で死亡したのは6月のことだが、警察も相撲協会も動きは極めて緩慢だ▼親方がビール瓶で頭を殴り、弟子たちに「可愛がらせ」て殺した。この集団リンチ殺人を隠蔽するため、傷だらけの遺体を火葬にして、遺骨を遺族に送る画策までしていたと報道は伝えている▼文科省も事情聴取と「指導」だけ。協会も「立件されれば親方は解雇と、極めて微温的な態度である▼朝青龍は、母国モンゴルの少年サッカーでボールを蹴ったぐらいのことで袋叩きにされた。モンゴル勢を中心に三役陣の5人を占拠されていながら「国技」をかさに着て”しごき“を加える相撲界にはうんざりだ▼高校や大学の運動部も”しごき”で鍛えるという悪弊を断つべきだ。今回の残忍な事件では、殺人罪での起訴、時津風部屋の解散。それが、当面とるべき最低の措置だ。



2007年10月2日

 人間観察の達人であった田中角栄は、政治家は嫉妬の固まりと喝破したそうだ。嫉妬の女神の目で今度の政局を見ると頷けることが多い▼政策新人類達が政権を弄ぶのが余程面白くなかったのだろう。新首相の福田サンがずっと不機嫌だったのも嫉妬のせい。安倍首相辞任の感想を聞かれた時の含み笑いは凄味があった▼福田サンはシャイでシニカルな人物らしい。評判の上杉隆著『官邸崩壊』(新潮社)には「安倍にはないニヒリズムが漂う」とある。そんなものは権力を掌中にした途端にきれいに雲散してしまった▼シャイといっても、はにかみや、内気、臆病と解釈は多様。シニカルとは思う通りに事が運ばない時の冷笑で、ニヒリズムの兄弟だ。竹林の七賢人ら世の中に絶望した時に陥り易いインテリの韜晦術である▼シニシズムも、時代の激動期には影を潜めるというが、福田サンを見て合点した。



2007年9月25日

戦争への加担とはいえ、まだ給油段階であっても止めるとなると総理大臣の胃腸をストレスでただれさせ政治的エネルギーを奪うものらしい▼後方支援ですらこの騒ぎである。これが直接の交戦に参加していたらどうだろう。「一抜けた」というのはもっと大事にちがいない▼「かけつけ警備」事件の佐藤某も、いったん事をおこしてしまえば後は引っ込みがつかなくなると企んだわけだ。これは旧日本陸軍関東軍以来の伝統である▼戦前といえども、最初から国を挙げて戦争に突き進んだわけではない。財政負担が過重であった軍事費を、「緊縮財政」の名のもとに軍縮でしのごうとした時もあった。財界も戦争で得かどうか天秤にかけて迷うところもあった▼ところが満州事変以降、世相は急変し財界は軍需景気に我を忘れ、迷いも躊躇もなく破滅まで突き進んだ。たかが「給油」されど「給油」である。



2007年9月18日

 アメリカのニューヨーク・フィルハーモニーが、北朝鮮の首都・平壌で公演することを検討している。7月米朝協議で米側が積極支援を表明した。ライス国務長官の訪朝説も流布されている▼8月の豪雨災害に国連・世界食料計画(WFP)やアメリカをはじめ十数力国が支援を表明したが、日本は無言のまま。朝鮮総聯が毛布や食料を送るための船便の入港を政府に求めたが、内容証明で要請書を送り返した▼中口米の共同調査団の派遣と非核化に向けての「次の措置」、朝鮮戦争の正式終結宣言と平和協定、米朝国交正常化などに向けて動き始めたが、安倍内閣の対朝鮮敵視政策だけが際立っている▼臨時国会ではテロ特措法の延長問題が焦点だが、対朝鮮経済制裁の一つである万景峰号の入港禁止措置も10月13日に期限切れになる。えげつない敵視政策をさらに延長するのかどうかも注目したい。



2007年9月11日

 厚労省の前局長が収賄の疑いで省内調査を受けた。新聞で見る限り、59歳とは思えないほど老けこんでいる▼ノンキャリアの出世頭で逸材には違いない。しかし、功名を追い大切な何かを忘れたようだ。人も法も「リンリ、リンリ」と騒ぐが、発覚して初めて知る「倫理」かなか▼元局長は取材に答えて、特養ホーム建設を舞台に厚生省事務次官が逮捕された11年前の贈収賄事件を思い出して、「脇が甘かった」と言った。当の元事務次官、岡光序治氏は介護保険の生みの親。小泉政権誕生の翌年に自戒を込めて『官僚転落』(廣済堂出版)を出した。そこでも同じように、業者との関係を私的な関係だと弁解している▼この人たちが忘れてきた何かは他人事ではない。高度成長が始まる1954年の京大卒業式で、滝川幸辰総長は社用の「ただ酒」を戒めたが、あれから半世紀、こちらは話題にものぼらない。



2007年9月4日

 大内兵衛といっても知っている人は多くはないだろう。27年前亡くなったマルクス経済学者で、社会党にも大きな影響を与えた学者である▼大内とその弟子たちの業績を、戦前の軍国主義への抵抗から美濃部革新都政にいたるまで克明に追った書が出た▼著者はアメリカの日本研究家ローラ・ハイソ。彼女は言う。「マルクス主義者のことを、私たちの時代についてなんら役に立つことを言っていないではないかと一蹴してしまうとしたら、なにか大切なものが失われるような気がします」▼著者は大内とその一統が時代とどう格闘したか、実によく調べている。結論自体には同意できぬものもあるが、日本人にはこのような書を著した者はいない▼社会への体系的な批判眼と根底的な対案を持てず、目先のことのみ追う現代日本の知識人への警告の書といってよい。『理性ある人々、力ある言葉』(岩波)。



2007年8月21日

 前号で大佛次郎は稀有な理性の一人であったと紹介したが、これには注釈が要る▼大佛の理性は戦争そのものを否認するものではなく、戦争遂行上障害となる低劣を指摘したのであって、要するに身の安全を考えて予防線を張ったまでのこと。その予防線が偽装とも本気とも気付かせないところが、大佛らしい理性だった▼神風特攻隊第1号の関行男海軍大尉がレイテ沖に散った3日後の昭和19年10月28日の日記に、大佛は心の高ぶりをこう書いた。「人の心を引き締める不思議さ。言葉では言い表せぬ」と▼大佛は当時47歳。戦時中も新聞連載を抱える流行作家であった。2度目の特攻の報に接した10月30日の記述は、「鞍馬天狗現れるという感じで嬉しい」と俗っぽい▼海軍特別幹部訓練生で終戦を迎えた城山三郎は後に関大尉の花びらのような人生を辿り、「枯枝の悲しみが永く永く残る」と愛惜した。



2007年8月14日

 高橋隆治著『一億特攻を煽った雑誌たち』(第三文明社)に、昭和19年12月号の『主婦の友』の謎解きをしたエッセーがある▼『婦人倶楽部』と並んで敗戦に立ち会った超一流婦人雑誌の同号の入手は困難を極め、著者は十数年を要した。回収・焼却処分されたためであったが、その謎は実物を見て氷解する▼「アメリカ人をぶち殺せ!」といった「異常な、背筋がゾッとするようなスローガン」が全52頁の21頁に及び、各頁の上段に刷り込まれていたのだ▼国中が殺し合いに熱中した時代、高橋氏は当時この極度のヒステリーに勘づく人は稀有な理性の持主であったと言う▼その稀有な理性の一人が大佛次郎であった。大佛は同年11月18日の日記に「粗雑で無神経」「日本の為にこちらが恥しい」「日露戦争の時代に於てさえ我々はこうまで低劣ではなかった」と書いた。その日、大佛の住む鎌倉に氷雨が降った。



2007年8月7日

 民主党の参院選大勝の背景に、小泉政権以来の新自由主義的構造改革が指摘されている。その痛みに対する怨嗟がどっと噴き出したというのだ▼中小企業、農業、地方、若者、無党派層など、改革で潤った一部の大企業以外の全ジャンルの人びとが反自公の一票一揆を起こした。あの「美しい国」という美辞麗句と現実とのギャップに怒りが雪崩をうった▼とりわけ、労働者の安倍政権に対する怒りは静かに深く、民主大勝の基力となったと思われる。「小さな政府」=「官のリストラ」を公約に、自治労と教組バッシングが凄じかつた。労働組合敵視は新自由主義と国家主義に特有だが、両者を融合した「安倍カラー」は異様だった▼民主党の比例当選者20人のうち労組出身は7人。比例2300万票には自民党支持者の2割以上が流れた。国民政党の体裁を整えつつ、民主党は保守二大政党実現に漕ぎ出す。



2007年7月24日

 地震は同じ場所に起きない、起きてほしくないという切なる願いをあざ笑うような新潟中越沖地震だった▼M6・8、その被害は死者9人、行方不明1人、重軽傷者1089人、家屋全壊342棟、半壊93棟、避難民1万2000人▼ヒヤリというよりも、ヤハリだった東京電力柏崎刈羽原発の事故。放射能を含む使用済み燃料プールの水が海に流出、3号機わきの変圧器に火災が発生、7基のトラフルは50件に上る。原発の耐震安全神話が崩れた瞬間だった▼東電は震源となった海底の活断層を調査した際に、断層を発見していながら、耐震設計の想定外とした。原発版「耐震偽装」だ▼電力各社の原発事故隠し露見から間もない今回の事故。人間は騙せても、自然に偽装は通じなかった▼中部電力浜岡原発は想定される東海地震に耐えられないとする裁判が先月、静岡地裁で結審、10月26日に判決を迎える。



2007年7月17日

 職業に貴賎はないというが、今はあらゆる職業が尊敬されなくなった。尊敬の的だった教育や司法や政治に携わる職業にもかつての輝きはない▼教育は真理と正義を愛する世界であったはずなのに、愛国の世界に一変した。法律を修得して裁判官や弁護士になったはずなのに、憲法健忘症がひどい。政治家の頭は経世済民どころか、カネと野心漬けだ▼職業に尊敬と輝きが無くなれば、世の中は暗くなる。犯人はその昔から男と相場が決まっているが、近頃は男の片棒を担ぐ女性が目立つようになった。極めつけが小池百合子防衛相だ▼憲政史上初の女性の軍務大臣である。敗戦を境に女性は銃後の守りから、指揮者に出世したことになる。男女平等とはいえ、憲政に墨を塗る最低最悪の人事だ▼彼女はこの15年間に5つの政党を渡り歩いた。それだけでも政治家失格。そんな人を起用した安倍首相も失格だ。



2007年7月10日

 米下院外交委員会で「従軍慰安婦」問題に対する日本政府の公式謝罪を求める決議文が可決され、本会議でも成立する可能性が高まった▼一方、「強制的に従事させられたことを示す歴史的文書は発見されていない」という恥知らずな意見広告をワシントンポストに出した日本の国会議員44名のうち13名は民主党である。改憲志向と歴史歪曲を共有しているのが保守二党の体質だ▼日本ではほとんど報道されないが、5月にソウルで開かれた「日本軍慰安婦問題解決のためのアジア連帯会議」は8回目を迎え、今後は「国際連帯会議」へと拡大発展させることを決議した。カナダやオーストラリアでも、議会決議の採択運動が続いている。日本に対する国際的糾弾が広がる▼こうした運動に呼応する日本国内の大衆運動の強化が必要だ。道徳教育の義務化が必要なのは、子どもたちよりも国会議員たちだ。



2007年7月3日

 小さな政府の掛け声とともに、国の権力が大きくなって、国民の権利が小さくなった。ストレスが溜まって爆発してもよさそうだが、いじめや自殺と妙に内向してしまう▼たいがいは既成事実に流される。つい最近も、陸上自衛隊がイラク派兵に反対する市民を監視した問題が発覚したが、早速、当然だと開き直る議論が登場した▼6月24日の朝日新聞で軍事アナリストの小川和久氏は、自衛隊は軍事組織だ、情報保全隊は防諜部隊だ、企業や政党と同様に組織は情報活動が必要だと畳みかけた。自衛隊=軍隊という土俵に引きずり込み、そんなものかと思わせる手腕はなかなかのもの▼本紙も、改憲されて自衛隊が軍隊になると、保全隊は「憲兵」に昇格すると警告したが、憲兵の実体を知りたい人には『ある憲兵の記録』(朝日文庫)を奨める。憲兵は防諜だけでなく、謀略、拷問、監禁、殺人が仕事だった。



2007年6月26日

 「社会保険庁にはあしき労働慣行のがんがはびこっている。そうしたことも含めゴミを一掃する決意だ」というのは安倍首相の発言だ▼年金記録問題に関する歴代自民党政権の責任を社保庁と労働者に転嫁しながら、杜保庁解体・6分割法人化を強行しようとしている▼国鉄分割・民営化の時には、「ヤミ・カラ」攻撃を集中しながら時の首相は「一人も路頭に迷わせない」と啖呵を切ったが、結果は1047名の首切りだった▼安倍首相の発言は本音をむき出しにして直戴だが、「がん・ゴミ」扱いされた社保庁労組や自治労をはじめ、民主党も連合も音無しである。超過勤務へ全面協力して「ゴミ掃除」という労組破壊を許すのか▼労働組合が不当な攻撃に異議すら申し立てず、無言で堪えようとする態度をとったとき、どのような結果を招くかを真剣に考えてほしい。労働運動全体の間題なのだから。



2007年6月19日

 年金の次は介護と、どうしてこうも厚生事業に悪徳がはびこるのだろう▼介護報酬の過大請求など不正の数々がばれて、厚労省から事業所の更新は認めないという処分を受けたコムスン。発覚直後の処分逃れは水際立っていたが、人を食うその成金稼業のメッキが剥げるのも早かった。コムスンを傘下に従える持ち株会社グッドウィルグループの折口会長は、およそ血の通った介護とは無縁の人▼オヤッと不審を抱かせたのは、コムスンのグループ内譲渡を黙認から凍結へと一変した厚労省の態度だ。コムスンのような悪徳事業者を群がらせてきた責任者であり、いかにも不本意と言いたげな凍結指導だった▼ヘルパーら現場で働く人たちの重労働・低賃金を野放しにし、人材派遣業ではピンハネに精を出す折口会長の性善説を信じていたという厚労省の欺瞞。介護保険制度を崩壊寸前にした責任をとれ。



2007年6月12日

 ああ言えばこう言うとか、どっちもどっちと言うべききか。あるいは、同じ穴の貉と言うべきか。教育三法の政府案と民主党案の関係だ▼政府案が教員免許の有効期限を10年として30時間の義務講習による更新制を示し、民主党は免許状取得要件を大学院(修士)卒を条件にし、講習は100時間だ。講習期間中の代替配置や莫大な予算をどうするのか示していないことも共通している▼副校長、主幹教諭、指導教諭配置による締め付けに対しても民主党は反対しない。文科相の地方教委に対する「是正要求・指導」権限を定めるが、民主党は「国が施策を総合的に策定する」として国の関与を強化することと「教育監査委員会」の設置を主張する▼松岡農水相自殺や年金記録問題の影響で、安倍内閣の支持率が急落しているが、民主党が政権を取っても事態は変わりそうにないのに、マスコミは沈黙している。



2007年6月5日

 松岡利勝農水相自殺の一報を聞いたのは、国会で記者会見を終えて地下鉄の入口にさしかかった時だった。咄嗟に「あの男に殺された」と思った▼あの男は「有能な農相でした」と死者に手向けた。松岡氏は農水省出身だが、いわゆる東大卒の花園グループではない。政界に転じ、農林族として無理に無理を重ねたようだ▼政治家には陣笠で満足する人もいる。大半が政治屋レベルだ。松岡農水相はその政治屋の一人だった。彼の国会答弁を聞いていると、後ろめたさのかけらを持ち、悪者になりきれない処があった。野心家ではあっても、悪事を働いて平然としている図太さに欠けた。さりとて国を憂え、情熱をもって筋を通すタイプとはおよそ縁遠い人だった▼事務所費問題が発覚した時に潔く辞任しておればよかった。あの男に対する自縛を捨てていたら、命まで捨てることにはならなかったろう。



2007年5月29日

 たまたま1929年(昭和4)の『文藝春秋』を目にした。「貧富社会相座談会」を特集している▼座談会の最後は「兎も角日本は悲惨なものだな」で終わるが、「自由労働者」の子弟を収容している「細民地区」の学校で「1飯10銭」の昼食を出し、冬は児童が防寒のために古新聞を背中に背負って登校すること、「食えないので、監獄にいって年を越す」親のことなどが話題になっている▼緊縮財政をすすめる政府が「千人の失業者をこしらえて置いて、十人しか救済しない」と嘆き、「学校の先生の俸給」に対する「小作人の反感」を指摘している。蔵相の井上準之助が、「世話業」で儲けたと批判している▼張作霖爆殺事件の真相究明に蓋をし、共産党員を大量検挙し、小説『蟹工船』を発禁にして「産業合理化」を本格化したのもこの年だ。そんなに遠い昔の話ではない。歴史は装いを変えて連続している。



2007年5月22日

 連休に郊外のショッピングセンターにお供した。周囲に人家はまばら、原っぱの中に看板もない箱という感じの建物があるばかり▼車が建物を駆け上る。一箱は駐車場で、ようやく5階で空きを見つけ、降りて隣の箱に移ると、そこは別世界だった。都心の銀座のようなにぎわいで、吹き抜きに淡緑の巨大な幕が垂れ下がり、これぞ人工都市▼お目当ては食堂街の魚がしだ。昼前なのに順番待ちの列をなしている。そこは回転寿司と流れ寿司に分かれていて、流れのほうに入った。4人掛けのコーナーになっており、注文はリモコン操作。蛇腹のベルトに乗って寿司皿が自動的に目の前に運ばれてくる。ビールはさすがに人力頼りだが、味気ないことこの上ない。まるで鶏舎のニワトリのよう▼駅前商店街がシャッター通りと化す構造を目の当たりにして、これでは文化が廃れるはずだとブツブツ独り言した。



2007年5月15日

 4月27日に最高裁が出した強制連行・「従軍慰安婦」に関する判決は、「国家無答責=除斥期間」を理由に国家責任を免罪し、個人の賠償請求に対する司法救済の道を閉ざした▼だが、屁理屈をこねても事実は否定できない。判決は「被害者が被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きく」と認め、「関係者が救済に向けた努力をすることが期待される」とした。私たちは安倍首相も主要な「関係者」だと考える▼その首相が「揺るぎない日米同盟」のための集団的自衛権容認を手土産に訪米し、自分のほうから「慰安婦」問題について「心から同情している。申し訳ない思いだ」と発言、ブッシュ大統領は「謝罪を受け入れる」と応じた▼このやり取りのナンセンスは被害の当事者が不在であることだ。犯罪者同士が”手打ち”をするような行為は許せない。米下院決議案の賛同議員が100名に近づいている。



2007年5月1日

長崎の伊藤市長暗殺事件は「民主主義に対する挑戦」だと皆が言う。安倍首相も直後の発言が批判されてそう言い加えた。結構なことだ。だが、為政者のその厚顔さが危うさを招くと言いたい。「憲 法改正」を陣頭指揮して いる首相に、民主主義に対する挑戦者であるとの自覚がないのだから、民主主義こそいい迷惑だろう▼その意味で長崎のテロ犯と安倍首相は同類である。テロ犯は一丁の密輸銃の引き金を引いて、民主主義に挑戦した。安倍首相は戦争態勢を整えて、民主主義に挑戦し続けている▼米国のバージニア工科大学での32人射殺事件は、国外で戦争遂行中に起きた事件だ。あのような惨事はイラクやアフガンでは日常茶飯事。そういう想像力を働かせたいものだ▼長崎の事件を暴力団追放論議で終わらせてはならない。バージニア工科大の射殺事件も、銃社会批判でお茶を濁してはならない。



2007年4月24日

 教師も加わった「葬式ごっこ」。いじめの訴えを無視する教師。情報公開を拒否し、事実を否認し、いつわり、すり替え、責任逃れ、居直りをする学校と教師たち▼鎌田慧さんが『いじめ自殺−12人の親の証言』(岩波現代文庫)で告発する教育現場の対応には暗澹とした気持ちになる。「死ぬのは本人が弱いから」と教師の発言、学校の「名誉を守る」ための組織ぐるみの「防衛」にも心が痛む▼鎌田さんが言うように「校長や教師たちの狼狽や隠蔽や居直りは醜いというしかない」。だが、問題はなぜそうなっているかということだ。「学校が深く病んでいる」のはその通りだが、問題はその病理現象からどうしたら回復できるかだ▼鎌田さんは「子どものランク付け、少数意見の抹殺、鋳型教育、集団主義、全員一致主義」を批判する。教育再生会議や中教審答申に解決策がないことでは意見が一致する。



2007年4月17日

 都知事選3選は「都民の良識」と石原慎太郎は言う。ならば「都民の良識」を疑ってかかろう▼投票率は54・35%、慎太郎の得票率は51%だから、有権者の約28%が「都民の良識」を代表したことになる。問題は「良識」の中身だ▼慎太郎の支持層は自民党と公明党を基盤に、慎太郎流言動や一族の華麗さにあこがれる浮遊層から成る▼自民党の岩盤は企業や医師会などの利益集団、それに警察や官僚などの権力機構だ。公明党は創価学会のオーナーが進めと号令すれば進み、退けといえば退く。そのタクトは常に権力のあるところを指し、その政治的性格はルンペン▼浮遊層は権力の甘言や扇情に乗せられやすい。ときにニヒルに堕ち込み、絶望に浸る。慎太郎はそこに光明を射し込む。慎太郎は浮遊層の統領なのである▼暴力とデマ嗜好は彼の著作の本質だ。彼に芥川賞を与えた選考の不明を問うべき時だ。



2007年4月10日

習志野市議・辰巳久美子さんによると、最近学童保育で「おやつ」の時間の前に帰る子どもが目立つという。学童保育料はおやつ代(2000円)を含め月額8000円だが、おやつ代を節約するために「おやつの前に帰してください」という保護者が出てきたとのこと▼習志野市はいますべての小学校の敷地内に学童保育があり、すべての希望者を受け入れている。障がい児は6年生まで預かる。他市ではアパートやプレハブ、定員制で抽選のところも出てきた。合理化が進む中だが習志野市の学童保育希望者全入制を維持してもらいたい▼市の税収(06年度)が20億円増収となったのは、高齢者控除や定率減税の廃止で住民から搾り取った増税のせいだ▼せめて学童保育のおやつ代ぐらいは公費で保障してもらいたい。一食当たり100円だ。子どもたちが悲しい思いをする場面が増えているのがつらい。



2007年4月3日

 今回の自治体選は無党派層の奪い合いと言われる。マニフェストには似たり寄ったりの公約を並べても、選挙の本質は批判合戦だ▼その矛先を誰に向け、どの層の支持を恃みにするかを争う。そんな目で各党の演説を読んだ▼中川秀直自民党幹事長は、北海道知事選の応援演説で財政破綻の原因を労働組合に支配された革新行政におき、自治労を批判した。労働者国賊論である。昔は国労、2年前は郵政労働者、今は自治労が攻撃の標的だ▼国民新党の亀井静香代表代行の第一声は、中川演説の対極にある。彼は「この日本を自公政権がむちゃくちゃにした/高笑いしているのは外資、銀行、大企業/こんな日本に誰がしたのか、小泉改革であり、それを囃し立てた国民だ」とやった▼こんな日本にした責任は社会党を骨抜きにした亀井氏にもあるが、正論は正論。国民の責任を見逃さないところが味噌でもある。



2007年3月27日

 東京は人間砂漠で近所の住民でもあいさつもしない。しかし近年そうでもなくなってきた▼あるものを媒介にして、路上で人間同士が口をきく場面が増えてきた▼媒介は犬である。犬の散歩同士が出会いがしら、まず犬がお互いにクンクンするか唸るかして、はじめて飼い主が犬になりかわって「こんにちは」「うれしい、うれしい」などと口を開く▼それも飼い主に向けてではなく、相手の犬を見て話しかける。数秒で相性が悪いとなればそれでお別れだが、お尻をかぎあって親密になれば、人間の会話も「おいくつですか」などと始まる▼「メスですか」などと下品な表現をすると、「いえ女の子です」などとムッとする人もいる。珍妙な会話でもあるが、砂漠よりはいい▼しかし何十万円もしそうな高級犬を連れた奥様などは、「駄犬は嫌い」とばかりに他の犬に近づけないから、会話の糸口も成立しない。



2007年3月20日

米下院外交委員会小委員会は、韓国やオランダ人の証言を聴取しながら、日本軍の従軍慰安婦問題に関し決議案の審議を続けている。議員7人が提出した決議案は共同提案者が増え続けている▼決議案は、日本軍性奴隷が20世紀最大の人身売買、集団強姦、強制堕胎、精神的侮辱、性的虐待などによる身体的障害、虐殺または自殺が含まれた前例のない残忍で重大な事件だと糾弾▼公式認定と総理大臣の公式謝罪、現在と未来の世代への教育実施などを求めている▼安倍首相は国会で、河野談話は基本的に継承するが、決議案には事実誤認があり狭義の意味の強制性はないと答えた。「狭義」を中心に河野談話を見直したいという気持ちが滲み出ている▼安倍首相が訪米する4月26日までに決議案が採択される可能性が強い。首相には歴史認識をめぐる大胆な対話をすすめたい。ドイツとポーランドのように。



2007年3月13日

 各紙に首相の動向を伝えるメモ欄がある。「首相の動静」(朝日)「首相日々」(毎日)「首相の1日」(東京)「首相官邸」(日経)「安倍首相の1日」(読売)「安倍日誌」(産経)。なかでも産経が分刻みで一番詳しい▼日本のトップが誰と会い、何を話し合ったかなど噂の種は尽きないが、グルメなら首相の夕食メニューに興味津々だろう。2月15日東京全日空ホテルの中国料理店「花梨」、16日ホテル西洋銀座、17、18日自宅、19ホテルニューオータニの日本料理店「山里」、20日赤坂プリンスホテルのフランス料理店「トリアノン」、21日公邸晩餐会。1週間に中華、和食、フランス料理、賓客相手の晩餐と豪華日替わりメニューが続き、合間に家庭料理が入る▼首相が「再チャレンジ」を叫び始めてから、首相の「食」に関心を寄せるようになった。貧困が取り憑いた社会を見る首相の目は虚ろだ。



2007年3月6日

 ヒトラーは初めのうちはドイツでも奇人あつかいであった。彼を知る者もそのファナティックな言動が民衆に支持されるはずはないと思っていた。デマゴギーに反論せず、黙殺すべしと見くびるインテリも多かった▼ところが1930年以降わずか2回の選挙でナチス党は第1党に躍進。33年に一気呵成にヒトラーが首相となり全権を掌握した▼どんな下らぬデマでも奇矯な宣伝でも、常に正面から批判しておかないとヒドラのように民衆の深層心理に繁殖するのは歴史の教訓だ▼国会は憲法どころでないから一安心だ、憲法は選挙の争点にはならないから生活問題で挑もうというのが民主党などの空気のようだ▼憲法問題を、争点外しといった小手先で先延ばしできると考えたら大間違いだ▼「9条ネット」を呼びかけた皆さんは改憲を黙殺ですむような生易しいものではないと分かっているのだろう。



2007年2月27日

 弁護士の新井章さんが76歳で元気で活躍していることを新聞報道で知った。生活保護の老齢加算廃止の取消しを求める訴訟の原告側代理人を務めるという▼新井さんはかつて「朝日訴訟」で原告側代理人を務めた。生存権裁判を指揮するにはもっともふさわしい弁護士だ。反基地裁判としての長沼訴訟や労働事案も数多く手がけ、労働者を励ました。地方の小さな教職員組合の訴訟も指導した▼「今も資本主義の下で貧困者が再生産されているという事実は変わらない。憲法の存在理由が問われている今だからこそ、今日的な生存権の具体的な内容や保障条件とは何かを問題提起したい」と言う▼新井さんは総評などの労組が一丸となって応援してくれた時代を懐かしみつつ、「労働運動が衰退した今、どう支援を広げ、世論を盛り上げていくか」と悩んでいる。応援の輪を広げることに協力したいと思う。



2007年2月20日

 久間章生防衛相の不定見発言には困ったものだ。「軍隊」を預かる責任者だから物騒この上ない▼久間氏は、米国のイラク政策を批判して大量破壊兵器がなかったのに開戦に踏み切ったのは「間違っていた」と正論を述べた。また、米軍普天間飛行場の移設問題でも「(米国は)偉そうなことを言ってくれるな」と啖呵を切った▼ノーと言う閣僚がやっと現れたかと胸がすく思いをした人もいよう。ところがその一方で、久間氏は国内の米軍再編を拒否する自治体には補助金を出さない措置法案を提出した。そのとばっちりを最初に受けたのが岩国市。「偉そうなことを言うな」の矛先が今度は内に向いた▼久間氏の正論発言には違和感がつきまとう。ポスト安倍、それだけを意識した発言だからだ。米国の政権が2年後には交代すると読み、それに見合った日本の政権を俺がつくる、と米国にサインを送ったのだ。



2007年2月13日

 安倍首相は施政方針演説で我々が「直面している変化は」自分が育った時代には「想像もつかなかったものばかり」と述べ「戦後レジーム」の見直しを唱えた▼そしてその「頂点」たる憲法を「時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描く」ものへと変容させるという▼安倍さんは自分が物心ついて育った社会以外の社会の在り様は「想像つかない」らしい▼彼の祖父はなぜA級戦犯容疑者とされたのか。「国家像としての憲法」たる明治憲法に忠実に戦争を推進したからだ▼現行憲法の条文はすべて「国民は」ではじまる。決して「日本国は」ではない。憲法は「国家像」ではなく、人間らしい「人民像」なのである▼憲法の主語を「日本国」へと転換するだけで、祖父が活躍した戦争と暗黒の社会の扉を開けることは歴史を知るものなら誰でも想像できる。安倍さんは充分に「想像」して事を運んでいるに違いない。



2007年2月6日

アルツハイマーとたたかう84歳の母親を入院させている友人と親族が医師に呼ばれた。意識不明になった母親に人工呼吸器か、酸素吸入器のいずれを付けるか決断を求められた▼人工呼吸器は心臓を強制的に動かす。友人の言葉を借りれば「死んでも呼吸させる」。器具を口にはめるだけの酸素吸入器は本人の自発呼吸が止まれば終りだ▼酸素吸入器を付けることにしたが、やがて自力で意識を取り戻した母親が医師に向って眼を開き、「ありがと」とつぶやいて一件落着▼意識不明になった時に強制的に個室に移され、一日3万円の個室料金を請求され、分割払いの折衝のあげくケースワーカーが介在して個室料は免除された▼延命措置による「スケルトン」としての存在を拒否した吉村昭のように、意識のあるうちに遺族の「繁忙さ」や経費を思いやる必要がある時代になった。医療費トラブルも多い。




2007年1月30日

 子どもの頃のミルキーと大人になってからのクリスマスケーキのおかげで不二家ブランドには特別の愛着がある▼昭和30年代、片田舎の子どもにミルキーは森永、明治、グリコのキャラメと並ぶお菓子の王様だった。チョコレートは神様格で、滅多に口にできなかった▼クリスマスケーキは喜ぶ子ども見たさに、駅前の不二家で買った。別に少し高級な洋菓子店があるのだが、いつも不二家だった。おやつの思い出の中にペコちゃん、ポコちゃんが息づいているせいだろうか▼今や菓子業界の最大の敵は少子化らしい。市場が縮小し、メーカーは業界再編の機をうかがってコスト削減に大わらわ▼グリコは消費者を50代にしぼり「置き菓子システム」を導入した。オフィスにおやつ箱を置き、1個100円で売る▼新社会党の事務所におやつ箱が置かれて何年にもなるが、事情は不二家事件をきっかけに知れた。



2007年1月23日

岩波書店発行の『世界』2月号は特集「教師は何に追いつめられているか」だ▼掲載論文に共通しているのは、政府・財界・メディアが社会の矛盾と教育との相互関係から教育現場だけを切り取って糾弾しているという指摘。教育の協働性と教師たちの自主的実践を否定し、成果主義による個別管理と上命下服体制で締め付けようとしている▼野田正彰氏は「教師をいじめれば教育は良くなるのか」と問う。尾木直樹氏は教師が「法令執行人」化させられ、職場が非人間化し「疲れ果てる教師」の現状を告発する▼昨年4月の新宿小学校女性新任教師の自殺を取り上げたルポ(星徹氏)には、山田敏行新宿区議会議員(新社会党)が登場し、支え合う体制を失った教育現場の犠牲になったと批判している▼『世界』が「私はなぜ教師を辞めたか」「それでも私が教師を辞めない理由」について証言を求めている。



2007年1月16日

 山火事で動物がわれさきにと逃げるなか、クリキンディという名のハチドリだけはいったりきたり/くちばしで、水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます▼動物たちがそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」といって笑います/クリキンディはこう答えました「私は、私にできることをしているだけ」▼これはアンデスの民話だそうだが、いただいた年賀状の一節だ。受け取った者は、己の努力への小さな勇気をもらえる寓話である。これに何も感じない人は打算に過ぎる人であろう▼短文でありながら、相手によってそれぞれに考えさせる賀状の文章はそうあるものではない。もう一つ「前門の虎はみな良く知っているが、後門の狼を知らない」というのもあった▼さて、後門の狼とは何であろうか。思い当たる狼をいろいろ考えているうちに短い正月は終わってしまった。



2007年1月1日

 週4のたのしみに朝日川柳がある。「命さえあれば今年はよしとする」という句に出会うと、諧謔と不屈の精神が想像され気も楽になる▼作家三田誠広氏の「日本のビジネスマンは仕事以外に文化も何もないもぬけの殻、国が生み出した産業廃棄物だ」という議論も胸がすく▼もぬけの殻には理想がないから、国や企業の理不尽には抵抗感もない。皮肉な見方をすると、国や企業の横暴は個々の理想の有無、深浅を計るバロメーターだ▼教育基本法改悪で年を移した昨年は、この国が理想を撲殺した産業廃棄物国家に転落したことを示した▼かく言う野次馬の正月のたのしみはひねもすの読書だが、そのたのしみを楽しむ気が失せたときがもぬけの殻になった時だと思っている▼今年はシュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』、伊藤誠『「資本論」を読む』、 ハンナ・アレント『人間の条件』を読む。


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