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はじめに
 
ルソーの社会契約論は難解な書物です。できる限りルソーの言いたいことや事例を取り上げ趣旨はまげないようにレポートします。勘違いや解釈の違いがあれば、ご指摘ください。少し時間がかかりますが、まずは各章単位でまとめていきます。



社会契約論

第一編

 ここでは、いかにして人間が自然状態から社会状態にうつるか、また社会契約の本質的条件はいかなるものであるか、が探求される。

第一章  第一編の主題
 人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。特権階級のような顔をしているものも、同じくらいかそれ以上に奴隷状態にある。何故こうなったのだろうか。

 力とその結果だと考えるならば、ある人民が服従を強いられ、服従している間はいい。人民がくびきをふりほどくのが速いほどなおいい。なぜなら、人民は、自分たちに服従を強いた、自由を奪われたのと「同じ権利」によって、自由を回復する。

 つまりこうである。人民は自由を取り戻す資格が与えられたのか?もしくは支配者は元々人民から自由を奪う資格が与えられていなかったかのどちらかである。

 しかし社会秩序はすべての他の権利の基礎となる神聖な権利である。だがこの権利は自然から由来しているものではない。それは社会的なものであり、約束にもとづくものである。

第二章  最初の社会について
 あらゆる社会の中でもっとも古いものは家族である。ところが子供が親の養育が必要なときは親の規則に従っているが、成長し一人前の大人になれば、独立する。親も子供も独立するのである。自然の結びつきから離れ、それぞれの意志に基づいて独立する。これは家族の約束である。子供は成長し、自分の生き方を自分で決める自分自身の主人公になるのだ。
 だから家族は政治社会の最初のモデルである。支配者は父に似ており、子供は人民に似ている。

第三章  最も強いものの権利について
 最も強いものでも、自分の力を権利に、他人の服従を義務に変えない限り、いつまでも主人として強いものではない。
 ここで強いものの象徴として暴力を考えてみよう。暴力は一つの物理的な力である。暴力に屈することはやむをえない行為だが、意思による行為ではない。慎重を期しただけのことである。それが何故義務でありうるのだろうか。

 そして最も強いものよりさらい強いものが出現した場合、最初にいた強いものはは滅んでしまう。滅んでしまうような権利とは何だろうか。
 もし力のために服従しなければならないのであれば、義務のために服従する必要はない。服従を強制されなければ、義務のために服従する必要はない。そんな人間はいない。

 ここでは権利という言葉が力に付加するものではないことがわかる。この言葉は何の意味ももたない。
 権力者には従え。力には屈服せよという意味ならば大きなお世話である。
 すべて権力は神から出てくるのだろうか。しかし病気もまた神から出てくる。つまり医者にかかるなということになり、馬鹿馬鹿しい話になる。
 従って力は権利を生み出さないこと。また人は正当な権力にしか従う義務がないこともはっきりした。

第四章  奴隷状態について
 いかなる人間もその仲間に対して、自然的な権威を持つものではなく、また力はいかなる権利をも生み出すものでない以上、人間の間の正当なすべての権威の基盤としては、約束だけが残ることになる。
 一人の人間が、ただで自分の身を与えるのは全く馬鹿馬鹿しい。ありえないことだ。

 たとえ人間が自分を他人に譲り渡したとしても、自分の子供たちまで譲り渡すことはできない。親といえどもそうした贈与はできない。自然の目的に反し、父親としての権利を超えたものである。
 自分の自由の放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務さえ放棄することである。すべてを放棄する人には、どんなつぐないも与えられない。こうした放棄は人間の本性と相容れない。約束するとき、一方に絶対の権威を与え、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ。

 負けたものを殺す権利というものは決して戦争から出てくるものではない。人々はその原始的な独立を保って暮らしている間は、平和・戦争を必要とする相互の持続的な関係はなかった。この事実からしても彼らは自然のままでは決して敵ではない。戦争が起こるのは物と物の関係からであって人と人の関係からではない。

 フランス王ルイ19世の勅令で公認された私戦は、封建制度の悪用であり、この封建制度そのものが他のなにものにもまして馬鹿げたもので、自然法の諸原則やすべてのよい政治に反するものだ。

 だから戦争は人と人との関係ではなく、国家と国家の関係であり、そこにおいては人間としててはなく、ただ兵士として偶然にも敵となるのだ。要するに国家が敵とするのは他の諸国家であって、人々を敵とすることはできない。なぜなら異なった性質のものの間には、いかなる真実の関係も成り立たないからである。
 征服の権利については、最も強いものの法以外になんの基礎ももたない。

第五章  つねに最初の約束にさかのぼらねばならないこと

 誰でも王になれる。だが公衆の議決を前提にしている。このような多数決の決定で王という地位が与えられるということを誰が決めたのだろうか。なぜ少数者は従わねばならないのか。

 さきにあるべき約束ができていないならば、選挙が全員一致でない限り、少数者は多数者に従わねばならない義務はない。多数決の法則は、それ自身約束によってうちたてられたものであり、一度は全員一致の下に決められたものである。
 つまり物事の決め方として、「今後は多数決を取り入れよう、少数者は従うべき」とする約束を全員一致で決めたから「多数決」の採用となっている。

第六章  社会の契約について
 人間は新しい力を生み出すことはできず、ただすでにある力を結び付け、方向付けができるだけである。人間は生存するためには集合することにより、抵抗にかちうる力を作り出す。この力の総和は多人数の協力により生まれるものである。

 各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そしてすべての人々と結び付きながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じ自由であること。このような社会は社会契約によってしか成り立たない。

 この契約の諸条項は、行為の性質によりはっきり決められており、すこしでも修正すれば、空虚で無効なものとなる。だからおそらくこの条項は、正式に一度も公布されたことはないだろう。しかしいたるところにおいて同一であり、いたるところにおいて暗黙のうちに受け入れ是認されていた。(但しこの社会契約が破られ、各人が自分の最初の権利にもどり、契約にもとづく自由をうしない、そのために捨てた自然の自由を取り戻すまで)

 上記の契約の諸条項は整理すると、一つの条項になる。それは各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡することである。その理由は、各人は自分をすっかり与えるのだから、すべての人にとって条件は等しい。そしてすべての人が条件が等しい以上、誰も他人の条件を重くすることに関心を持たない。言い換えると各人はすべてを構成員に与え、すべてを構成員に与えないと言える。

 この結合行為は、各契約者の特殊な自己に代わり、一つの精神的な団体を作り出す。その団体は集会における投票者とと同数の構成員からなる。このようなすべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かっては都市国家という名前を持っていた。今では共和国または政治体という名前を持つ。

第七章  主権者について
 結合行為は公共と個々人との間の相互の約束を含む
個々人は自分自身と契約しており、個々人に対しては主権者の構成員として、主権者に対しては国家の構成員として約束している。

 すべての臣民(国家の法律に服従するもの)を主権者に対して義務付けうるところの公共の議決(社会契約)は、その理由を逆につかって、主権者を主権者自身にたいして義務付けることはできない。
主権者が自分で犯すことができない法律を自らに課すことは、政治体の本性に反するものである。
 いかなる種類の基本法(憲法)も、社会契約でさえも、全人民という団体に義務を負わすことはなく、また負わすことはできないのは明らかである。
 政治体または主権者は最初の行為(社会契約)にそむくようないかなることにも、たとえば自分自身の一部を譲り渡したり、他の主権者に服従するようなことに、自分を義務付けることはできない。他者にたいしてもできない。自分がそれによって存在する契約を破ることは、みずからを滅ぼすことである。

 主権者はかれらの利益に反する利益は持たないし、持つこともできない。従って主権者の権力は臣民に対してはどんな保障も必要としない。政治体がその構成員を害しようなどと欲することは不可能だから。

第八章  社会状態について

 自然状態から社会状態への、この推移は、人間うちにきわめて注目すべき変化をもたらす。人間の行為において、本能を正義によって置き換え、これまで欠けていたところの道徳性を、その行動にあたえるのである。

 社会契約によって人間が失うもの、それは彼の自然的自由と、彼の気を引き、しかも彼が手に入れることのできる一切についての無制限の権利であり、人間が獲得するもの、それは市民的自由と、彼の持っている一切についての所有権である。

第九章  土地支配権について
 国家は、その構成員に対して、国家内においてはすべての権利の基礎となる社会契約によって、彼らの全財産を支配できる。ところが他国に対しては国家が個人から引き継いだ先占権によってのみ、これを支配しうるにすぎない。
 先占権は、最も強い者の権利よりも一層真実なものであるが、まことの権利となるためには、所有権の確立をまたねばならない。
 人はすべて生まれつき自分に必要なすべてのものにたいして権利を持っている。

 一般に、何らかの土地に対する先占権を正当なものとするためには、次の諸条件が必要である。
 第一に、その土地にすでに住んでいるものが誰もいないということ。
 第二に、生存するために必要な広さの土地しか占拠しないこと。
 第三に、空虚な儀式ではなく、労働と耕作によって、これを占有すること。

 基本契約は、自然的平等を破壊するのではなくて、逆に、自然的に人間の間にありうる肉体的不平等のようなもののかわりに、道徳上および法律上の平等をおきかえるものだということ。また人間は体力や、精神については不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になるということである。

 悪い政府のもとでは、この平等は外見だけの幻のようなものにすぎない。それは貧乏人を悲惨な状態に、金持ちを不当な位置におくことにしか役立たない。実際上は、法律は、常に持てるものに有利で、持たざるものに有害である。以上のことから次のことが出てくる。社会状態が人々に有利であるのは、すべての人がいくらかのものをもち、しかも誰もがもちすぎない限りにおいてなのだ。

第二編

 ここでは立法がとりあつかわれる。

第一章  主権は譲り渡すことができないこと
 第一編で明らかにされた諸原則から第一に生まれてくる最も重要な結果は。国家を作った目的、さまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できるのは、一般意志だけだということ。なぜなら個々人の利害の対立が社会の設立を必要としたとすれば、その設立を可能なものにしたのは、この同じ個々人の利益の一致だからである。こうしたさまざまの利害の中にある共通のものこそ、社会のきずなをつくるのである。そしてすべての利益が底では一致するような、何らかの点がないとすれば、どんな社会もおそらく存在できない。

 社会はもっぱらこの共通の利害にもとづいて治められねばならない。
 主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲り渡すことは決してできない。権力は譲り渡すことができるが、意志はそうはできない。
 意志をはたらかす当人が自分の利益に反したことを承諾するというといったことは、意志のやることではない。だからもし人民が服従することを簡単に約束すれば、この行為により(主権者としての)人民は解消し、人民としての資格を失う。支配者ができた瞬間に主権者がいなくなるという珍妙な事態になり、政治体は破壊される。

 これは首長の命令が一般意志として通用しないことを意味するのではない。自由にその命令に反対できる主権者があえて反対しない限り通用するのである。このような場合は全体の沈黙から当然に人民の同意を推測すべきである。

第二章  主権は分割できないこと
 主権は譲り渡すことができないという同じ理由で分割もできない。なぜなら意志は一般的であるか、それともそうでないか、すなわち人民全体の意志であるか一部の意志にすぎないのか、どちらかである。前者の場合は、意志の表明は主権の一行為であり法律となる。後者の場合は、特殊意志か行政機関の一行為にすぎず、それはたかだか一法令にすぎない。

 意志が一般的であるためには、意志が全員一致のものであることは、常に必ずしも必要はない。しかし、すべての票が数えられることは必要である。形式の上での除外は一般性を破壊する。

第三章 一般意志は誤ることができるか

 人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝え合わないなら、わずかの相違がたくさん集まって、常に一般意志が結集し、その決議は常によいものになるであろう。

 しかし、徒党、部分的団体が、大きい団体を犠牲にしてつくられるならば、これらの団体の各各の意志は、その成員に関しては一般的で、国家に関しては特殊的なものになる。

 その場合には、もはや人々と同じ数だけの投票者があるのではなくて、団体と同じ数だけの投票者があるにすぎないといえよう。

 これらの団体の一つが大きくなり他のすべての団体を圧倒するようになると、その結果は、もはやさまざまのわずかな相違の総和ではなく、たった一つだけの相違があるだけになる。

 そうなればもはや一般意志は存在せず、また優勢を占める意見は、特殊的な意見にすぎない。

 だから一般意志が十分に表明されるためには、国家のうちに部分的社会が存在せず、各各の市民が自分自身の意見だけをいうことが重要である

第四章  主権の限界について

 もし国家または都市国家が精神的人格にほかならず、その生命が構成員の結合のうちに成り立つとすれば、また、国家の配慮のうちで一番大切なものは、自己保存の配慮であるとすれば、国家は各部分を、全体にとって最も好都合なように動かし、配置するために、普遍的な、また強制的な力を持たねばならない。

 社会契約も、政治体に、その全構成員にたいする絶対的な力を与えるのである。この力こそ、一般意思によって指導される場合、すでにいったように、主権と名づけられる。

 しかしわれわれは、この公の人格のほかに、これを構成している私人たちを考えねばならない。そして後者の生命と自由とは、本来、前者とは独立のものである。そこで市民たちと主権者との、それぞれの権利を区別し、また市民たちが臣民として果たさねばならない義務を、人間としてうくべき自然権から、十分に区別することが問題となる。

 社会契約によって、各人が譲り渡す能力、財産、自由はすべて、ただ、その使用が共同体にとって不可欠な全体の部分に限られる、ということは認められている。けれども、どれだけが不可欠かを決定するのは主権者である、ということもまた認めねばならぬ。

 市民は主権者が求めれば、彼が国家になしうる限りの奉仕を、直ちにする義務がある。しかし、主権者がわにおいても、共同体にとって不必要な負担は、決して臣民に課することはできない。

 われわれを、社会全体に結び付けている約束は、この約束が相互的であるが故にのみ、拘束的なのである。そしてその約束は、この約束は、人がそれを課すことによって、他人のために働けば、必ずまた自分自身のために働くことにもならざるをえない、といった性質のものである。

 社会契約は、市民の間に平等を確立し、そこで、市民はすべて同じ条件で約束しあい、またすべて同じ権利をたのしむことになる。だから契約の性質上、主権のすべての行為、すなわちすべて一般的意思の正当な行為は、すべての市民を平等に義務付け、或いは恩恵を与える。したがって主権者は国家体のみを認め、これを構成する個人に差別をつけない。では主権の行為とは何だろうか。それは上位者と下位者の約束ではない。

 主権は、いかに絶対的であり、いかに神聖であり、いかに侵すべからずものであろうとも、一般的な約束の限界をこえないし、またこえられないこと。そしてすべての人は、これらの約束によって彼に残されているかぎりの彼の財産、自由を十分に用いることができるということである。

第五章  生と死の権利について

 どうして、個々人が自分自身の生命を勝手に処分する権利を持たないのに、この自分たちがもっていない権利を主権者に移転しうるのか??
 それは何尾とも自分の命を守るためになら、命の危険をおかす権利をもっているからである。

 社会契約は、契約当事者の保存を目的とする。目的を欲するものは手段をも欲する。そしてこれらの手段はいくらかの危険、さらには若干の損害と切りはなしえない。他人の犠牲において自分の生命を保存しようとする人は、必要な場合、他人のためにその命を投げ出さねばならない。

 社会的権利を侵害する悪人は、すべてその犯罪ゆえに、祖国への反逆者、裏切り者となるのだ。彼は法を犯すことによって、祖国の一員であることをやめ、さらに祖国に対し戦争することにさえなる。だから国家の保存と彼の保存は両立し得ないものになる。

 刑罰が多いということは、つねに、政府が弱いか、怠けているかのしるしである。なにかのことに役立つようにできないという悪人は決していない。生かしておくだけでも危険だという人を別とすれば、みせしめのためにしても、殺したりする権利を誰も持たない。

 よく治められている国家では、刑罰が少ない。特赦がたくさんおこなわれるからではなく、犯罪者が少ないからである。国家がおとろえる時におこるたくさんの犯罪者は、犯罪者たちが刑罰をうけずにすむことの保障になる。

第六章  法について
第七章  立法者について
第八章  人民について
第九章  人民について つづき
第十章  人民について つづき
第十一章 立法の種々の大系について
第十二章 法の分類

第三篇

ここでは、政治の法、すなわち政府の形態がとりあつかわれる

第一章   政府一般について
第二章   政府のさまざまな形態をつくる原理について
第三章   政府の分類
第四章   民主政について
第五章   貴族政について
第六章   君主政について
第七章   混合政府について
第八章   すべての統治形態は、すべての国家に適合するものではないこと
第九章   よい政府の特徴について
第十章   政府の悪弊とその堕落の傾向について
第十一章 政治体の死について
第十二章 主権はどうして維持されるか
第十三章 主権はどうして維持されるか  続き
第十四章 主権はどうして維持されるか  続き
第十五章 代議士または代表者
第十六章 政府の設立は決して契約ではないこと
第十七章 政府の設立について
第十八章 政府の越権をふせぐ手段

第四篇

ここでは、引き続き政治の法をとりあつかいつつ、国家の体制をかためる方法が述べられる

第一章  一般意志は破壊できないこと
第二章  投票について
第三章  選挙について
第四章  ローマの民会について
第五章  護民府について
第六章  独裁について
第七章  監察について
第八章  市民の宗教について
第九章  結論

(旧asahisakura.hp.infoseek から移転しました。)

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