靖国参拝の会とは

 小泉純一郎の靖国参拝支持する自民党若手議員の会が平成17年6月28日、自民党本部で発会した。
 参加は116名だそうである。首謀者はもちろん安倍晋三である。中国が靖国参拝に怒っているから譲歩するのがいいことなのか。靖国神社を国家施設としたほうが良いのではないかなどの意見が出されたようである。

 靖国は下記のように反戦・不戦の施設ではなく、軍事博物館を備え第二次世界大戦は正しかったとする施設である。靖国は、国会議員や日本政府の立場と違うのである。従って軋轢を生むことになる。靖国はそういう思想を背景にしている宗教法人である。宗教法人は科学ではない。オカルト・オーム・国際基督教統一心霊教団など、中には怪しげなものも時々マスコミを賑わす。共通しているのはマインドコントロールである。すべての人間がコントロールされるわけではない。無知や弱点をつくのである。

 狂っているとしか思えない。思想信条の自由があるから、参拝したい国民は自由に参拝している。だが何故国民に強制しなければならないのだろうか。「靖国を国家施設」というのは国民への強制である。マスコミは単に報じただけで得意のコメントをせず傍観者の立場で「だんまり」である。

 単なる存在感を示したいのではなく、天皇元首化への改憲準備であろう。そとて次の戦争を準備しているのであろう。

靖国を考える    「どうせ反対されるから参拝した??????」 日本国民はこの屁理屈を理解できない

 小泉総理大臣は平成16年元旦に靖国神社に参拝した。他の神社ではなく何故靖国なのだろうか。靖国は日本軍国主義の象徴みたいなものである。言葉では「戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝した」と言う。イラク戦争に派遣する自衛隊員の活躍を祈祷してきたのだろうか。

 一国の総理大臣たるものが外国を相手に子供だましの屁理屈が通用するはずもないのに、小泉はいつまでも嘘をついている。靖国神社は日本国の犠牲になった軍人・英雄が祀られている。そんなところにいつまで御参りするのであろうか。

 私個人は国家神道を崇拝していないので馬鹿馬鹿しい行為と軽蔑しているが、他国の人たちから見れば、戦争の準備かなと感じるのではなかろうか。日本軍国主義の犠牲になった大量の一般市民が何故御参りの対象にならないのだろうか。日本軍に殺された民間人はそっちのけで、何故戦争犯罪者も含む軍人だけを御参りするのだろうか。

 同じ日本人でも良心を持つものには理解できないだろう。戦闘行為で死亡したものと空襲で死亡したものに何故差をつけたいのか。日本人は平等に扱われなければならない。恩給が支給されるもの、支給されてない犠牲者がいる。命の重みが違うとでも言うのだろうか。日本政府は戦闘で死亡することを奨励している。ここが問題なのである。
 これが軍国主義国家、憲法を改悪し戦争のできる国への転換、こういう姿勢が見えてくる。

靖国神社とは

 1868年の戊辰戦争の犠牲者7751名を祀るために明治2年(1869年)東京招魂社として明治天皇の意向により建設された。明治10年(1877年)に西郷隆盛らの西南戦争の死者6971名を祀り、明治12年に靖国神社と改称した。ここは天皇のために軍人として命を捧げたもの、平民である忠臣を祀っているのである。

 その後明治27年(1894年)の日清戦争の死者13619名、台湾征討(明治7年)1130名、北清事変(明治33年義和団事件)1256名、日露戦争88429名、第一次世界大戦4850名、済南事変185名、満州事変17176名、支那事変191243名、大東亜戦争2133885名の合計2,466,495名が祀られている。

 天皇が自らお参りしてくれる靖国に祀られ、天皇を中心とした神の国日本のために死ぬことは名誉だったのであり、死ぬときは多くの軍人が「天皇陛下万歳」を叫び突撃したのである。

 靖国神社は陸・海軍省直轄で運営され、天皇のために命を捨てさせる教育の中心となった。そして軍人には精神主義の教育が行われ、科学技術に頼ることが軽んぜられていった。また英霊という不思議な非科学的なことばがまかり通るようになった。
 こうして靖国神社は戦没者ら「国事殉難者」を祭る神社として軍国主義の精神的支柱となったが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の政教分離指令(神道指令)で独立の宗教法人に改組された。

 このなかには東京裁判や各国裁判で有罪になった戦争犯罪人も本人の意思と無関係に含まれている。
 しかしこの中には戦闘行為に参加しなかった一般の戦争犠牲者は含まれていないのである。靖国は見事に日本軍国主義に利用されたのである。靖国が開戦を煽ったと言っても間違いはないだろう。

 付属「遊就館」

 「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。」と戦争を正当化し、戦闘機なども展示した博物館で単なる宗教法人を逸脱し、思想教育・洗脳を行っている。近隣諸国にお詫びした「村山談話」などどこ吹く風のごとしである。明治15年に軍事博物館として開館したそうで、現在は宗教法人だが旧日本軍の直系宣伝機関と位置づけられていると言えよう。

 従って防衛庁や自衛隊員が旧日本軍の宣伝機関の遊就館は一度はおとずれていることであろう。靖国は遺族会だけのものではなく、現自衛隊員の思想的・精神的・心の支えにもなっているようだ。また日本国民とりわけ若年層の思想改造に励んでいると思われる。

 自己中心的な人間を育てないよう願いたいものである。小泉は靖国を訪れ、「戦争を起こさないため不戦の誓いを立てる」と言うが、靖国はそのような場所ではない。戦争を正当化し日本軍国主義の再来を期し準備を進めている。軍国主義者の中心的存在であり、東南アジア諸国との摩擦の原因がここにある。

http://www.yasukuni.or.jp/

戊辰戦争とは
 1868年、戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に16ヶ月余にわたって戦われた戦争を戊辰戦争という。鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月に江戸城を接収、上野にこもる彰義隊をはじめ関東各地で旧幕府主戦派を討伐、抵抗する各藩を会津戦争を頂点に10月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点となった榎本武揚らが篭城していた箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家へと進むことになる。明治維新・戊辰戦争は天皇家にとっては国家権力を再度手中にし、天皇家再興となる重大な転機であった。


http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-annai.html?
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-annai.html


靖国神社や靖国参拝


 大日本帝国憲法では天皇主権が規定されており、天皇が日本を統治した。従って国民は臣民にすぎず、日本国憲法になるまでは天皇絶対の時代であった。そういう状況の中で明治天皇が戦没者の為に作ったのが靖国である。もちろん陸海空の三軍の統帥権は天皇が保持していたのであり、第二次世界大戦をはじめとした戦争の責任はすべて天皇にある。戦後の日本支配と東京裁判では天皇制をめぐり、曖昧な「象徴」という表現を使い、戦争責任を戦略的に問わなかったアメリカも同罪である。

 天皇制復活論者は神の国日本(大日本帝国憲法第一章)と靖国を切り離すことができない。そして日中戦争やアジア侵略は大日本帝国にとって必要だったと言う。何のことはない。彼らの思考方法は大日本帝国憲法である。扶桑社の教科書も同様の視点に立っているのであろう。

 日本国憲法が国民になじまないのではなく、一部の支配者階級と小泉こそが日本国憲法になじまないのである。小泉には依然として大日本帝国憲法しか眼中にないようだ。


天皇にとっては

 天皇復権のために命を投げ出し天皇の為に働いてくれた臣民を祀っている所であり、感謝の気持ちを持って靖国参拝は欠かさない。自分の身代わりに死んでくれたから当然お参りする。

 天皇家の宗教は神道であり伊勢神宮であり、天皇に忠実に死んだものが祀られるのが靖国神社。
 戦争は平民にとっては理由がよくわからないものである。だから「天皇のため」にというのがこじつけられた理屈である。
 逆の視点でみると、天皇家は250万人もの軍人を殺し、さらには多くの国民の犠牲のうえに成り立っているといっても過言ではない。
 戦後も戦争責任を問われず、天皇制を温存し、犠牲者の亡霊に悩まされ、安眠できる夜はないだろう。
 だが天皇は一部の戦争愛好論者に利用されることを嫌い、政治問題化している靖国には一線を画している。私は天皇の方が小泉や遺族会などよりは「正常」に思う。

陸軍や海軍にとっては


 兵隊を文句を言わせずに戦地に送り込むために、死んだら靖国に祀られる。天皇も参拝してくれるので無駄死にではない。天皇の臣民だから頑張ってこいと尻をたたかれて戦地に赴くための精神的な支柱であった。軍隊が動くときは「天皇の意思」であることが強調され、時には独走してしまつた。陸軍は日頃いじめている部下と同じ戦線にはいかないという話もある。後ろからついて来る部下に復讐されるという。

 軍人が突撃するときに人間らしい気持ちを持たれたのでは戦争にならない。精神を天皇の為に死ぬという極限に高める為の道具にしなければならない。それでも命令と殺人そして人らしい心のはざ間で精神を病んでしまう者は多いであろう。また天皇は家族や地域のシンボルと思いこむよう洗脳されたものは多かったのだろう。

財界・国家・小泉総理にとっては

 戦後GHQにより政教分離指令を受けたにもかかわらず、これから進もうとする軍国主義化への道には進んで死んでくれる軍人を褒め上げ、国民を統合して有事にあたりたい。また支持団体である遺族会への配慮も必要である。選挙があるからね。

 靖国の延長上に憲法改悪を控えている。今そのために利用すべきはなんでも利用する。拉致問題、北の核問題、日本に関係ない国際テロリスト、アフガン、イラク戦争、領土問題、資源、国際復興支援、教科書問題、国籍不明船、台湾海峡、東南アジアまでの航路確保、海賊船、他国のミサイル発射そして天皇制までも利用している。

 日の丸君が代は政府文部省が一体になり狂ったように強制してきている。日の丸については天皇陛下さえも「強制を反対」いる。なぜそこまでする必要があるのかと疑問がわく。単に日本の「しるし」とか象徴とか「うた」の問題ではない。戦前のようにいつでも戦争のできる国に作り変えたいのだろう。憲法改悪そして普通に戦争のできる国へ向けて動きは急ピッチで進んでいる。

 日本資本主義経済は危機に直面している。太平洋戦争勃発時の雰囲気に似ており、経済的には軍事力を基礎として他国への侵略・進出の欲望にかられている。日本経団連は武器輸出三原則を破るよう小泉に要請している。同盟国ならばいいではないかと。有事に備えて国民を自由にコントロールしたい為の偶像崇拝と考えているのだろう。
 これらは利害の一致する財界からの要請でもあろう。

 小泉は総理になる前は参拝したことはないのである。
 そもそも、英霊を慰めるなどと言った、現代にそぐわない「非科学的な儀式」にいかにも神妙な態度で、議員や大臣が参加することに違和感を感じる。小泉はいよいよ狂ったかと。遺族会個人が参拝するのとは訳が違うのである。単なる一個人ならば、いろんな思想がこの世の中に満ちているのだから、単なる「変人」で済む。しかし大臣はそうはいかない。国民不和の原因になる。

国民にとっては

 天皇制と軍国主義の象徴であり、国家・総理大臣が一宗教法人のみを重視しているのは問題である。軍人や軍属のみならず戦争犠牲者すべてを偲ぶ場をつくり、戦争の美化・正当化ではなく、真にすべての犠牲者が「不戦の誓いをこめて」追悼されねばならない。もちろん戦犯は大量の国民を死に追いやった戦争犯罪者であり、犯罪者を含めてはいけない。

 日本は平和憲法に基づき国外には軍隊は派遣しない。国民が巻き込まれるのも嫌である。そういう立場からは靖国は一宗教法人に厳格に徹すべきである。国家は介入すべきではない。
 敢えて火中の栗をひらう小泉は国民の生命財産を預かる指導者としては失格だ。

 元来戦争は人殺しであり、犯罪者である。多くを殺せば英雄である。軍隊とはそのようなものである。精神異常を起こさないほうがおかしいくらいである。そういう人間が祀られるのが靖国神社ということである。
 だから戦争は一種の集団的に狂った状態とも言える。その拠り所が靖国であり、戦争への道なのである。だから国民は靖国も戦争も反対なのである。

 戦争の犠牲になった多くの民間人、特に空襲や原爆投下で亡くなった方は祀られていない。ここにも差別意識があり腹立たしい気持ちで一杯ではなかろうか。何故差別されねばならないのか理由がわからないであろう。
 日露戦争時の日本海海戦にて日本が奇跡的に圧勝したのは有名なはなしだが、203高地で乃木将軍は多くの日本人を人海戦術で殺害してしまったことを忘れてはならない。士官連中が戦地後方で指揮をとり、現場を知らないまま作戦を立てた為に多数の犠牲がでたのである。だが乃木自身は自殺だから靖国合祀の基準には入らないであろう。

 「靖国で会おう」と「天皇陛下万歳」を叫んで突入していった日本兵の犠牲者。そして無差別爆撃で死亡した多数の日本人。さらにはアジア諸国を占領し、虫けらのごとく殺害するなど蛮行をふるった日本軍、一方でこれを利用し満州などで大金を懐にした一部の支配者。これらは絶対に許すことはできない。

 いずれにしても日本国民は奴隷と違い、思想信条の自由が保障されており、靖国を国家管理にしようという動きには断固反対しなければならない。天皇とその政府が多大な犠牲を国民に強いた。その象徴たる靖国を国営化などとはとんでもない発想である。正に狂っているのである。政治家自らが正邪の判断がつかないくらい混迷を深める日本。日本のよき伝統と文化が泣いている。

 A級戦犯を合祀しなければ問題は解決するのだろうか。B級やC級戦犯も合祀されていると思われる。日本を代表する政府の指導者が靖国参拝をすることは他国に誤ったメッセージを与える。中国はA級戦犯を外せば良いとの考えのようだが、それは誤りである。靖国は遺族会の問題であり、日本の政治家など公職につくものが参拝してはならない(心の問題に留めるべきで、パフォーマンスはいけない)。あくまでも政教分離でなければならない。宗教に政治が関与したり、政治に利用すべきことではない。靖国参拝と言う小泉のパフォーマンスは、犠牲となった国民に対し心からの反省がないことを示している。

 遺族会も政治を利用しようとするのはやめねばならない。遺族会自らが靖国を守り育てないのであれば、自らの思想・信条の自由は守れなくなるであろう。

遺族会にとっては

 天皇のために騙されたとはいえ、死亡した家族が眠っていると言われている神社にお参りするのは当然かもしれない。軍国主義教育が残っている遺族会ではある。
 いまになって無駄死にだったと言われても気持ちの整理はできないだろう。
 彼らの心の中には天皇が生き続けているのだから、一度天皇が謝罪したらどうか。
 彼らは軍人恩給を確保するのに血道をあげている。その為に自民党に利用され、自らも利用している。
日本遺族会
http://www.nippon-izokukai.jp/index2.html
中国帰還者連絡会
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/02/ou_izokukai.htm

平和遺族会全国連絡会の紹介
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/tuzimoto39.htm

宗教者にとっては

 国家が特定の宗教を擁護したり政治に利用するのは大反対である。政治の道具になってしまう。日本の歴史に宗教者が政治を支配した時代があった。
 そして宗教の力をかりて戦争を行うのは言語道断である。
 非宗教者からみると御参り自体が狂っているように見える。
 第二次世界大戦では宗教指導者も戦地に赴く軍人に対し、殺人をも奨励させられた。従わねば犯罪者とみなされ陸軍法による刑罰を受けた。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/chishu/ronron/yasukuni/kuwahara.html

右翼にとっては


 右翼団体にまでコメントする必要はないのだが、天皇制そしてナショナリズムの浸透しているものからみると靖国参拝は賛成の立場であろう。それにもまして憲法改正し自衛隊が軍隊となり、他国に武力で侵攻したいと願っているだろう。拉致問題をめぐって関係者から危険な発言や行動が相次いだ。反共の(反米ではない)大日本帝国の復活をめざすものには大切な行事だろう。彼等は世界を相手に戦って敗北した第二次世界大戦を反省し、今度は米国を後ろ盾にした、アジア諸国を支配する戦略に転換したものと思われる。元々反米反共だった日本が、反共だけになったのである。

外国にとっては

 戊辰戦争や西南戦争を除きほとんどが大陸に侵略して戦死している。これらを祀り大切にするのは侵略を再度考えているとしか思われず、各種戦争の反省がないと考えるだろう。
 侵略戦争を美化している。
 韓国併合時は日本語教育まで強制されていた。
 典型的な南京大虐殺は天皇の意のままに動いた日本軍の犯罪であった。このことを考えるとアジア諸国は日本国の総理大臣が靖国神社を参拝するのは許せないだろう。
 8月15日は韓国の独立記念日だという。その日に侵略を誓うかのごとき参拝はやめて欲しいと思うのは当然だろう。
 日本軍が戦前や戦中に行った残虐行為や強制連行や従軍慰安婦問題を忘れたのだろうかと思いたくなる。反省のかけらも見えない。

日本国憲法上は


 憲法第20条に明確に違反している。総理大臣自ら憲法やぶりの先頭に立っている。憲法遵守は日本国民の義務だが、小泉は日本国民なのか、アメリカの国民なのか、態度で示してもらいたいものである。支配者には国民の利益を尊重することが義務付けられているのである。

 〔信教の自由〕
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


となっている。憲法には誰が読んでみても靖国参拝は合憲と書いてない。


「小泉首相の靖国参拝  違憲」判決を大いに生かそう


 小泉首相の靖国参拝に対して福岡地裁は平成16年4月7日、「職務執行としての公式参拝」として違憲判決を出した。損害賠償請求は棄却だったが、原告も事実上の勝訴で控訴せず、判決は確定する。これを機に靖国参拝をやめさせ、護憲運動を前進させよう。
 判決は、「憲法上の問題や諸外国の批判を十分に承知しつつ、自己の政治的意図に基づいて参拝を行った」「神道の教義を広める靖国神社を援助、助長、促進する効果をもたらした」「(公用車使用、秘書官随行、総理大臣としての記帳など)行為の外形において、内閣総理大臣の職務と認めうる」と指摘し、「憲法20条で禁じた宗教的活動に当たり、違憲」と断じた。

 司法の良心を示す
また、「(靖国神社は)必ずしも戦没者追悼場所として適切でない」と指摘する一方、首相が参拝を繰り返していることについて、「裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高い。当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考えた」と述べ、司法の憲法擁護責任をにじませた。
 歴代首相の靖国参拝をめぐる訴訟では、岩手靖国訴訟を除いて、憲法判断を回避するか、原告適格を否定して門前払いしたり、せいぜい「違憲の疑い」(92年の大阪地裁、中曽根元首相参拝訴訟)を指摘するにとどまった。こうした経過からすれば、今回の福岡地裁判決は画期的であり、司法の良心を示したものとして評価できる。
 小泉首相は、「判決はおかしい」「なぜ憲法違反か分からない」「参拝を続ける」と居直り、「総理である小泉が心を込めて参拝する姿勢」を変えていない。首相が、司法の判断を否定し、無視することは、憲法99条が定める閣僚らの憲法尊重、擁護義務を真っ向から否定するものだ。

 新たな英霊のため
 小泉首相が、靖国参拝を続けるかたくなな姿勢を示すのは、グローバリゼーションのなかで、日本の多国籍企業を守る新たな戦死者を祀る国家的施設の必要性を痛感し、為政者として新たな英霊を祀る靖国神社の復活を狙っているからである。
歴代の自民党内閣のこうした姿勢が、侵略戦争・植民地支配の反省に立って、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することを定めた憲法理念を空洞化させ、アジア諸国の人々の反発を招いてきた。
 今回の違憲判決をもとに、首相はじめ閣僚らの靖国参拝を止めさせる世論を大きく盛り上げ、「東京招魂社」を前身とし、侵略戦争と天皇のための死を美化し続けてきた靖国神社の廃止へ議論を進めることが必要だ。
 小泉首相が違憲の靖国参拝を繰り返すのは、「日の丸・君が代」強制で処分を乱発する教育行政、労働者の首を切る構造改革、有事法制という名の戦争体制整備、増税と社会保障切捨てによる生活破壊などと同根である。


 小泉首相は中国・韓国は靖国神社参拝について「参拝していることを理解している」と発言したがとんでもない話である。
 日本の中学生以上であれば、小泉の感覚と180度違い「靖国参拝は理解が得られない」と受け止めているだろう。それに比べて小泉の馬鹿さ加減は一体どうしたものであろう。この程度の判断がつかない人間が総理大臣をやり、国民の生活を左右するのはとんでもないことである。

 今日はサッカーアジア予選である。例のごとく今日もまた「君が代「」を鳴らし、アジア人民に天皇陛下を思い浮かばせ、日本陸軍を思い出させ、南京大虐殺を思い出させている。
 「君が代」は本当に国益にかなうとでも思っているのだろうか。こういうのを「百害あって一理なし」という。
 河野衆議院議長が小泉にこのことを諌めたら、馬鹿の安倍がクレームをつけた。河野は「外務大臣の経験から外交の問題といっているが、これは内政問題である。」と。そして「口出しすべきでない」と。

 この靖国問題は憲法や法律に明記されていないし、日本政府の扱う問題ではなく、全く個人の問題で、総理大臣たる個人が靖国を参拝すれば誤解が生じるのは当然である。
 そして当然内政問題でもない。
 小泉は他人の声に耳を貸したことがないという。こんな総理を選んだ国民も小泉と心中しなければなりません。
(平成17年6月8日)



靖国参拝は違憲      大阪高裁 画期的判決 (平成17年9月30日)

小泉首相に痛打

 大阪高裁(大谷正治裁判長)は平成17年9月30日、小泉首相の靖国神社参拝は国の宗教活動を禁止した憲法に違反するという司法判断としては久々のまっとうな判決を出した。
 先の解散総選挙で自民党を大勝に導き得意の絶頂にある小泉首相にとってダメージは大きい。首相の靖国参拝に関わる高裁判決はこれまでに4件、7月の大阪(一審大阪第1次)、9月29日の東京高裁(同千葉)、10月5日の高松(同松山)がいずれも憲法判断を回避するなか、今回の大阪高裁の違憲判断(同大阪第2次)は画期的だ。

宗教的な行為 限度を超えている

 小泉首相は就任以来4回、いずれも敗戦記念日の8月15日を避けて参拝してきた。これに対し、6地裁(大阪、松山、福岡、千葉、那覇、東京)に7件総計約900人が訴訟を起こし、損害賠償を請求していた。

 一審段階では福岡地裁だけが違憲判断(04年4月)、他6件は憲法判断を回避していた。参拝の公的性(職務性)については3件(大阪第1次、福岡、千葉)が認め、今回案件の大阪第2次訴訟の一審判断は公的ではないと明示していた。

 大阪第2次訴訟の争点も政教分離の原則(憲法20条)と思想・良心の自由(同19条)。原告は台湾人116人を含む188人で、日本の戦争加害に対する反省・謝罪・賠償と「合祀されている祖霊」の返却を求めていた。

 違憲判断の論理は明解。首相の本殿における拝礼は「宗教的意義の深い行為」であり、一般人に宗教への関心を呼び起こすものである。首相の靖国神社との関わり合いは限度を超えており、憲法20条3項に禁ずる宗教活動に当たるとした。

 その根拠が参拝の職務性判断だ。@公用車を使用した、A総理秘書官を伴った、B「内閣総理大臣小泉純一郎」と記載した、C総理就任前の公約を実行した、D首相自身が公的性を否定していない、と参拝の公的性を小気味よく認定した。

 だが判決は、小泉首相の参拝は原告らに参拝を奨励していないし、原告らの思想・良心に強制・圧迫・干渉していないとし、憲法19条と20条第1項は侵害していないと判断、小泉首相・国・靖国神社を免責して原告の請求を棄却した。

 判決を聞いた小泉首相は「職務として参拝したのではない」と反論したが、状況に変幻自在のカメレオン発言だ。最初の参拝(01年)では「公的、私的にこだわらない」と言いながら、福岡地裁が違憲判決を出すと、「私的といってもいい」と言い換え、今回は明確に公的性を否定した。

 言葉のトリックもいかにも小泉流だ。「(公用車を使用するなどして)オペラや映画に行くのはどうなのか」と、靖国参拝と観劇を同列に置く詐欺漢そのものの論法を繰り出した。

 財界新聞『日経』すら、靖国問題は「アジア諸国との外交の大きなトゲ」と警告、参拝の再考を促している。


平成20年の8月15日 平和遺族会全国連絡会

 炎天下の8月15日、北京五輪の最中、福田首相が靖国神社参拝を止めて2年前の騒動が嘘のように平穏が戻った。だが、この時もイラタ、アフガニスタンでは対テロ戦争が続けられ、新たに南オセチアでロシアとクルジアが戦火を交えた。どうしたら世界平和は可能か?

 平和遺族会全国連絡会(西川重則代表)は、首相・閣僚・都知事の靖国参拝に反対して東京都内で集会を開き、「憲法を活かして平和を創ろう」と訴えて平和行進した。

 西川代表は、現在の靖国参拝は有事法制下の参拝であることを強調。そして、歴代自民党政権の手で憲法・防衛・教育の3本性が改悪され、ヤスクニ思想が広がった、これからの靖国参拝は「新たな戦死者」を想定したもの、と警告した。

 一方、靖国神社境内で行われた「英霊にこたえる・日本会議」(会長・三好達元最高裁長官)主催の「戦没者追悼中央国民集会」は天皇即位20年を来年に控え、国防と教育改革、憲法改正を誓った。とくに、教育基本法と学習指導要領の改正を受け、靖国・護国神社訪問を学校行事として取り組むよう督促した。

 平和遺族会の集会メーンは、伊勢崎賢治・東京外語大学教授の講演。伊勢崎氏はアフリカのルワンダの虐殺と内戦のシ工ラレオネ、アフガニスタンでの見聞と武装解除に関わった直接体験から、「民衆を保護する責任」「大量虐殺を防ぐために必要な武力介入」はありうるかと問いかけ、「ある」と自答した。

 ルワンダではツチ族とフツ族が衝突、フツ族が100日間に80万人虐殺されるという核兵器並みの殺りくが行われた。しかし、国連平和維持活動(PKO)は国連憲章の内政不干渉原則と米クリントン政権の拒否に阻まれ何もできなかった。

 ダイヤモンド産出国のシエラレオネの内戦では10年間に50万人が殺された。反政府ゲリラの中心は子どもと不就労の若者だった。子どもが遠慮なく無差別で人を殺す″最終兵器″となった。伊勢崎氏は停戦合意の条件は「平和」ではなく「利害」だったと振り返った。ゲリラの″親玉″が副大統領となり、鉱山大臣を兼務した。仲介したのはアメリカだった。

 伊勢崎氏は、アフガニスタンで日本が加盟してもいないNATOの軍事行動(OEF−MIO)に参加するのは「非常識だ」と批判した。                  (以上新社会より)

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